2010年2月7日

この間、自分のパソコンの古いログを整理していたら、懐かしいものが出てきた。

米原万里さんが徹子の部屋にゲスト出演した際の会話原文である。だれかがネットに掲載していたのを取っておいたのだと思う。

思えば、犬郎は、この徹子の部屋をきっかけに米原さんの本を読むようになった。米原さんがなくなったのは2006年、そのときはかなりを衝撃を受けた。

エッセイの面白さも格別だったが、通訳(ロシア語)としても超一流の方でした。また機会があったら『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を再読してみよう。

それにしても、徹子の部屋は怪物番組だ。放映36年目に入ったというから犬郎が小学生のときから放映していることになる。ゲストを呼んでおいて、そのゲストを置き去りに勝手にしゃべりだしたり、ときにとてもトーク番組とは思えないもの代物だが、それが受けていままで続いてきたのでしょう。

芸能人ばかりをゲストにしているが、たまに、政治家や作家、映画監督がゲストのときには見ていました。

犬郎は、毎年2月2日がくると「徹子の部屋」を思い出してしまう。犬郎の誕生日と「徹子…」の番組開始日(何周年記念も当然)はともに2月2日なのである。


徹子の部屋: ゲスト:米原万里(よねはらまり) 2002年7月25日放映

黒柳 「ロシア語の同時通訳でいらっしゃって、エッセイストでもいらっしゃって、テレビのコメンテーターもなさいます米原万里さんです。私、今すごく(米原さんの着ている)お洋服を褒めていて、これリボン刺繍で全部編んだものだと思っていたのですね。ところがこれは伸びる素材でできていて、私はイッセイのプリーツのやつは知っていますけども、」

米原 ≪同じ原理で作られているとは思いますけどもね。私、今ほとんど同時通訳はやってなくて。あれは緊張するからほとんど太らないのですけども、いくら食べても。でも食べる量を減らさないで物書きになったら、ものすごい勢いで体重が増えて、着られる物はこれ1着だったのですよ。≫

黒柳 「胸も大きくていらっしゃるのね。限りなく伸びるのですってね。」

米原 ≪そうですね。でもそのうちこのプリーツが見えなくなってね(笑)。≫

黒柳 「さて米原さんは、この徹子の部屋に、昔、ロシアから、ソビエト時代ですけども、素晴らしい人形劇が来た時に通訳で来ていただいたのですよね。すごいのはセリフを全部彼らはその国に行ったらばすぐに覚えるのですけども、その感じが「ボークタチハ、ニンギョーウナンダー」という感じで楽しかったのですけども。で、どうしてロシア語がお出来になるのかと思ったら、」

米原 ≪小学校3年の時に父の仕事の都合で、チェコスロバキアのプラハというところに5年くらい滞在したのですね。≫

黒柳 「今思ったら一番言葉を覚えている年代ですよね。」

米原 ≪吸収力がね。≫

黒柳 「私、疎開していたからわかるんだけども、弟も妹も赤ちゃんだったからわかんないんだけども、弟も小さかったからベラベラだったのにしゃべった事すらおぼえてないのですよね。小さかったから。」

米原 ≪8歳以上じゃないと残らないと言いますよね、言葉は。≫

黒柳 「そうなのですか。東北弁を私は良く覚えているんですけども。普通チェコにいらしたらチェコ語だと思うのですけども。」

米原 ≪チェコ語だと日本に帰ってきてから、教科書とか先生とかほとんど見つからないじゃないですか。その後勉強を続けるためにはロシア語だったら勉強を続けられるだろうという事で、ロシア語学校に私と妹を通わせる事になって、≫

黒柳 「ソビエト学校で、」

米原 ≪ソビエト学校で。当時のソ連邦の外務省が直接経営する学校で。先生も本国からやってきた先生で、教科書もロシア語で、授業も全部ロシア語で。私の親と同じ考えする人が多くて、チェコにいる外国人は全部そのロシア語学校に入っていたのです。≫

黒柳 「日本に帰っていらしてからは、外国語大学のロシア語学科を卒業してその後東大の大学院でロシア語・ロシア文学をおとりになったっていうかたですから。ゴルバチョフさんやエリツィンさんなどの偉い方の通訳をなさる時は日本語である程度わかってないと通訳できない。当たり前ですけどね。」

米原 ≪ある程度できないと成り立たないですね、仕事としては。≫

黒柳 「日本語がわかってないとできないという事ですよね。」

米原 ≪成り立ちませんね。≫

黒柳 「ある研究会で日本しかわからないことをおっしゃる方がいらっしゃって「ロシアは今、大政奉還で」って。」

米原 ≪ソ連邦が崩壊してロシアになって、経済改革に関するシンポジウムで、日本の学者が、「まあ、大政奉還はなったけども、廃藩置県はまだという状態ですな。ハハハ。」って笑って、私は同時通訳できずに、何がハハハだって思って(笑)。≫

黒柳 「廃藩置県を説明するだなんて。日本の歴史をねえ。」

米原 ≪難しいですよね。≫

黒柳 「そういう時はどうなさるんですか?」

米原 ≪権力は奪取したけども、制度改革はまだだって。≫

黒柳 「場合によっては、「この方は今とても面白い事をおっしゃてるのですけども、通訳できないのでお笑いください1・2・3。」とおっしゃる時もあるのですって(笑)。」

米原 ≪私は、まだそれはやっていませんけども。私の同僚はそれをやって切り抜けたりしていますね。「”毛沢東思想”中身を取ったら妄想(毛想)だ」なんていわれてもね。訳できませんよね(笑)。≫

黒柳 「日本のダジャレをね。」

米原 ≪これをロシア語にしろと言われてもわかりませんよね。≫

黒柳 「それと英語で困るのはお米の話で、「アメリカはなんと言っても米国ですから。」といわれると、なんといったらいいのかって。そういうこともあるのですけども、今度大宅壮一賞をお取りになった本がとても面白いのは、題名が第一可愛いですよね。」

米原 ≪”嘘つきアーニャの真っ赤な真実”。≫

黒柳 「そのソビエト学校でお会いになった、特に3人のお友達のことを、女の子のね。それがすごく個性的で、どうしてあんなに面白い子がそろったのでしょうね。」

米原 ≪ええ。ただね、私、日本人で行ってつけられた形容詞が”謙虚だ”とか”ひかえめだ”とか付けられて、いっつも謙虚なマリちゃんと言われていたのですね。(※写真が登場)後ろにいる子がリッツァ。≫

黒柳 「この子がおかしいのは算数が全然できない。この子があんまりできないので先生が鶏は・・あの鶏の話をしてください。」

米原 ≪あの、授業なんか嫌いだからおしゃべりしているわけ。先生が応用問題を出して、”集団農場でトラクターが2週間畑を耕しました。”そこでリッツァが、先生の話を聞いてないと気が付いてやってくるのだけども、「リッツァ、今の問題答えなさい。」。本当は違う応用問題なのだけども、軌道修正して、「集団農場で2週間トラクターが畑を耕した。2台のトラクターが畑を耕した。1台のトラクターは何週間畑を耕しましたか?」って尋ねるのね。(リッツァは)「あら!1週間に決まっているじゃない」って言うのね。≫

黒柳 「フフフ。」

米原 ≪先生も困っちゃって、もう一度何回も繰り返すのですけども、≫

黒柳 「2週間って言っているのですからね。」

米原 ≪「(先生はリッツァに尋ねる)じゃあねリッツァ、ここに鶏がいます。鶏は2キロぐらい。この鶏が二本足で立っています。この鶏に体重はいくつですか?」「(リッツァは)2キロです。」、「じゃあ鶏は1本足で立ちました。鶏の体重は?」、「(リッツァ)1キロです。」。≫

黒柳 「ハハハ。」

米原 ≪教室中は笑の渦で、先生も、つい吹きだしてしまうのですけども。≫

黒柳 「であなたの体重は?って、先生がまた尋ねて。」

米原 ≪「44キロです。」って。≫

黒柳 「初めに言いたくないっていうのね。」

米原 ≪そうそうそう(笑)。で、先生は、これは応用問題だから嘘でもいいから言ってって「(リ)45キロ」。先生が46キロにしましょうって言ったら「いやです絶対45キロです」って言い張るのです。わかりました44キロにしましょう。今、二本足で立っていますね。体重は何キロですか?「44キロです。」。じゃあ片足で立って御覧なさい。今のあなたの体重は何キロですかって「22・・・44キロです」っていうのね(笑)。先生がリッツァ、鶏は片足で立つと体重が半分になるのに、なぜあなたは片足でたっても体重が変わらないのですかって言ったら、「ひどい先生」って言って泣き出してしまって、「鶏と私を一緒にするなんて許せない。」って言って泣き出すのね。≫

黒柳 「おかしいわね。こういう子供を相手にしているので、先生も大変だと思うのですけども、主張が強いっていうかね。自分の算数ができないのを棚に上げてね。私もいろんな”長靴下のピッピ”とか童話とかたくさん読んでいるのだけども、そういうの読んでいるぐらい面白かったのね。日本ではそういうのは許さないと思うのだけども外国では日常的に、」

米原 ≪そうですね。1クラス人数が少なかったので、≫

黒柳 「何人ぐらい?」

米原 ≪15~20人ぐらいで、20人を超えると2つに分けるのですよ。生徒も1人1人の個性がわかったし、先生もフィードバックというか、教えた事がどう理解されたかわかりながら授業できたので。私も40年以上前のことでもしっかり覚えているのですよね。≫

黒柳 「読んでいて面白いのだけども、そのリッツァという子供はあまりに勉強ができないものだから、先生が、あなたがギリシャのすごい、」

米原 ≪そうそうそう(笑)。ギリシャの有名なユークリントスとかアルキメデスの末裔だと思いたくないっていったぐらい。≫

黒柳 「次にヤスミンカというユーゴスラビアの女の子。この子はすごく頭がいい。」

米原 ≪信じられない事に私だと6ヶ月ぐらいかかるのですよ。ロシア語できるようになるのに。ヨーロッパ系だと3~4ヶ月、同じスラブ系でも2~3ヶ月かかるのですよ。が、来てすぐにペラペラなのですよ。○×テストとか選択式テストとか一切無くて。全部口頭諮問か、論文式なのですね。黒板の前に来て説明するのですけども、それが論理的で面白くて聞きほれちゃうの。≫

黒柳 「人間のどっかの器官が、」

米原 ≪それでね、生物の時間に、いや人体解剖学の時間に、前の宿題を尋ねるのに「人体の器官の中である状態に置かれると6倍に膨張するものがあります。これはなんでしょう?」モスコースカヤっていうちょっと気取った女の子に尋ねたのですね。彼女は恥ずかしそうに身をよじっているものだから先生に指されちゃうのね。「いやです。私そんな恥ずかしい質問に答えられません。」て、言うのね。お爺様からもお母様からも、そんなはしたない事を考えてはいけないと言われているから絶対答えられませんっていうのね。≫

黒柳 「まだはしたないかどうかわかりませんけどね(笑)彼女はそういったのね。」

米原 ≪みんなクスクス笑い出して。≫

黒柳 「そういうところがみんなませていると思うのだけども。」

米原 ≪みんな笑っていてでもヤスミンカだけはいつもクールでいるから彼女に当てるわけね。「さあヤスミンカそれはなんでしょう?」。それはあの暗いところからいきなり明るいところに置かれた瞳孔ですっていうのね。瞳ね。≫

黒柳 「さっき恥ずかしそうにしていた女の子に。」

米原 ≪はっきりしたのは、あなたはちゃんと宿題をやってこなかったっていうこと。2つ目はとても厳格なお爺様のもとで育てられた割には、おつむの中はそれにふさわしくない事。「3つ目に」って言った瞬間に、先生は口篭っちゃうわけ。先に進もうとして他の子を当てようとするのだけども、みんなは気になっちゃって、3つ目はなんですかって言って、問い詰めるのです。先生はモジモジしちゃって。あの何とか先に進もうと思って眼球の構造を説明しだして角膜は第2レンズ、第1レンズに相当する目の器官は何ですかって?尋ねて。でも尋ねても、みんなは先生を見つめて。≫

黒柳 「さっき言おうとして止めたのはなんですかって?」

米原 ≪しょうがないからヤスミンカにまた尋ねて、(ヤスミンカは)「水晶体です。それと先生が3つ目に言いたかったことですけども」って言ったの。(すると先生は)「3つ目はあなたがそう思っていてもきっとがっかりするでしょう」って(笑)。≫

黒柳 「3つ目はあなたが考えたお爺様に言ったらば叱られるような事というのは実際その場面になったらばあなたはがっかりするでしょうって。先生は6倍には膨張しないかもしれないって(笑)。その女の子はちゃんとわかって小さいのにね。」

米原 ≪13歳ですけどね。≫

黒柳 「そう思っていてもがっかりするかもしれませんというところがすごいのですけども。そういう面白い事が一杯書いてあるのですけども、その子たちがその後どうなったかというのが書いてあるのが大宅壮一ノンフィクション賞をお取りになったところだと思うのですね。その次のアーニャのことも伺うのですけどもちょっとコマーシャル。」

米原 ≪はい。≫

黒柳 「さて嘘つきアーニャというのはルーマニア人だそうですけども、その子は本当に嘘つきだったのですか?」

米原 ≪ええ呼吸するように嘘をつくのですよ。自分のついた嘘を自分でも信じている節があって一度付いた嘘を本人も思い込んでいるので覆らないのですよ。≫

黒柳 「何回聞いても同じことを言う。」

米原 ≪さらに膨らんで物語になっちゃうのですね。≫

黒柳 「ルーマニアの子なのだけども、家の中はとっても良い暮らしだったのですって?」

米原 ≪言葉使いが共産主義イデオロギーそのものの言葉使いで、なのに昔貴族が使っていたようなお屋敷に住んでいて、住み込みのお手伝いさんとかお抱えの運転手さんとかがいて、住み込みのお手伝いさんにいつも「同志」っていつも呼びかけるのね。≫

黒柳 「いい暮らしなのだけども、「ありがとう同志」っていうのね。私、”ニノチカ”っていう芝居をやったので良く分かるのだけども、サンドウィッチでも「食べますか同志。カロリーが少ないですけども同志」ってなんでも同志って言うのですよ。その時おかしかったのが、光ゲンジが見に来ていて、「あれ(同志っていうのは)暗号ですか?」って言ったのですけども(笑)。」

米原 ≪あのもううんざりするほど・・・いい子だったのだけども、うんざりするほど共産主義礼賛とルーマニアにたいする愛国心が強い子で、≫
※礼賛=ありがたく思うこと。その偉大さをほめたたえること

黒柳 「まあ、ルーマニアではその後大変なことがあって。チャウシェスク政権。その後分かったのは、豪邸があったり不思議な生活でしたものね。まあそういう大変楽しいことが、この本に、楽しい個性的な3人の女の子の話がたくさん書いてあるのですけども、その子たちがどうなったのか、もうバラバラになっちゃたんでね。しばらくはお手紙でやりとりもしていたのですけども、バラバラになって、それで”わが心の旅”というテレビでテレビマンユニオンが作った時、調べてほしいと頼んだら3人とも分かったのですね。」
※チャウシェスク=ルーマニアの共産主義政権時代の独裁者。政権崩壊時に銃殺される。

米原 ≪私、全然期待してなかったら、≫

黒柳 「その算数が全然できなかった子が一念発起して。」
※一念発起=転じて、それまでの考えを改めて熱心になること

米原 ≪チェコのプラハの一番いい大学でカレル大学の医学部に入って、卒業して医者になっていたのです。≫

黒柳 「そのままチェコに住んでいたのですか?」

米原 ≪いえドイツのフランクフルトの近くで開業医をやっていました。≫

黒柳 「人間って一念発起するとどっかでね。」

米原 ≪また一念発起するきっかけとなった事件もね。あのもう大変な、ね。≫

黒柳 「それもご本に書いてあると。この米原さんがお書きになりたかったことは、もちろん子供の面白い童話のようなお話だけども、やっぱりそこのところなのでしょ。お書きになりたかったところは?」

米原 ≪そうですね。私日本に帰ってきて共産主義の学校に通っていたら、きっと規則がんじがらめで、規制ばっかりで、非常に固定観念で灰色のつまらないものを想像する。でも人間は、そういう国家とかイデオロギーとかを越えて、それよりもはるかに豊かで面白くて複雑じゃないですか。≫

黒柳 「それぞれの方にお会いになったのですけども、ユーゴスラビア人だったヤスミンカは、旧ユーゴスラビアといったほうがいいのですけども、大変なことになった。その後の3人です。コマーシャルです。」

黒柳 「嘘つきアーニャは、ルーマニア人でそれだけの暮らしができるという事は、チャウセスクに近い人だったのでしょうね。」

米原 ≪そうでしょうね。≫

黒柳 「彼女はどうなっていた?」

米原 ≪彼女は18歳の頃イギリスに留学して、イギリス人と結婚して、私と会ったときは、私はルーマニア人としては10%以下だと。イギリス人になりきっていて、ロシア語も完全に忘れてしまっていましたし。≫

黒柳 「ご両親はどうなったのですか?動乱の時には、」

米原 ≪いえ、ちゃんと生き残っていて、超豪華なマンションに住んでいました。チャウセスクが銃殺された後も。≫

黒柳 「どうなっているのでしょうね。わかんないですね。」

米原 ≪ガイドをしてくれた青年によると、今の政権はチャウセスクを抜いたチャウセスク政権がそのまま残っているって言っていました。≫

黒柳 「じゃあチャウセスクが悪いと。」

米原 ≪チャウセスク1人が悪いということにしてしまって、急いで殺してしまったのでしょうね。≫

黒柳 「中でも一番気の毒だったのは、ユーゴスラビア人だった頭のいい子のヤスミンカですよね。どうなったの?」
※ユーゴスラビア=その後ユーゴスラビアは内戦状態が続きクロアチア、ボスニア、新ユーゴスラビアなどに分裂。

米原 ≪絵描きになると言って、私も絶対に絵描きになると思っていたのだけども。≫

黒柳 「どこに住んでいたのですか?」

米原 ≪彼女はボスニア人と分かって、ボスニアのサラエボという一番戦争の激しいその時期に私は探していたので、もう生きてはいないと思っていたら会えました。ベオグラードに住んでいて。≫

黒柳 「家族とも会えなくてバラバラになって。」

米原 ≪今は会えました。4年間、父親はボスニアに住んでいたものですから会えないでいましたね。地続きで行くと1時間で行けるところなのに、電話もダメ郵便もだめで。≫

「後は嘘つきアーニャの真っ赤な真実をどうぞ」

※ 原文中、わかりにくい部分を一部修正

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