2010年7月20日

昨日、ノッティンガムから帰って参りました。

2月1日のブログでご紹介したのですが、フィールドホッケーのボランティアのため、会社を1週間休んでお勤めをしてきたのです。

チャンピオンズトロフィーという女子の大会と四カ国対抗の男子の大会が同時開催とかなり豪華な内容でした。

犬郎の役割は、Competition OfficerとProtocol Liason Officerの2役の持ち回りです。Competition Officerは、試合のスターティングメンバーの確認、試合結果のメディアへの配布、得点王ランキングなどの統計処理といった業務。Protocol Liason Officerは、ホッケー協会やその他VIPの応接役です。

会場には、日本人はひとりだけ、まあ予想はしておりました。

なにをお手伝いするかは、職務内容記述書が送られてくるほかは、当日までまったく案内はありません。当日になっても、出席の確認と食券をもらったら、あとは「適当に人を見つけて、その人の指示に従ってください」みたいないい加減なところもあります。要するに、自分の仕事は自分で見つけないと、なにもやることがなければ、それならそれで済んでしまうような感じなのです。ヒマそうにしている人と、かなり忙しいヒトがいますが、お互いにだからと言って文句を言うこともありません。

犬郎のシフトは、毎日、朝一番から夕方、もしくは午後一番から深夜までの仕事でした。

業務の合間には、ホッケーの試合が無料でボランティアクルー特別席から観戦できます。これは役得ですね。会場には、ホッケーグッズを売るショップやファンゾーンといって子どもたちにホッケーを体験してもらうエリアなどがあってなかなか楽しめます。試合が終わった選手なども立ち寄るので、世界の有名選手とコミュニケーションをとることも可能です。ホッケーというマイナースポーツのなせるわざです。サッカーのワールドカップの会場のショップにはメッシやロナウドは来ないですよね。ジャクソン(英国)やミュラー(ドイツ)といった超一流の選手が、犬郎の近くをウロウロしてました。

さて肝心の試合のほうですが、男子の試合には、日本も参加していたので、かなり気合いを入れて応援していたのですが、残念ながら参加四カ国中の最下位に終わりました。それでも、ニュージーランドには1回は勝ったし、ドイツ・イギリスといった世界の上位チームにもそれぞれ2点差と、世界との差はかなり狭まってきたような気がします。女子は、アルゼンチンの3連覇、強豪オランダが2位でした。

犬郎がホッケーを始めたのは、高校に入ってからでした。「2回勝てばインターハイ。今年は沖縄で開催なので一緒に行こう」と言われて入部しました。在学中は、福島―滋賀―徳島の開催で、沖縄はウソでした。また、この2回が勝てずに3年間は終わってしまいました。

実際にスティックを持ってプレーするのはもう10年間ありませんが、それでもホッケーとの関わりは捨てがたく、いまだに童心に帰って試合観戦しています。2004年にはアテネ五輪のホッケー決勝を観戦してきました。

残念なのは、世界的にもホッケーの注目度が低いことですね。競技をしたことのある人には、この上なく楽しいスポーツなのに、そうでない人にはちっとも面白く見えないようです。最速200キロで飛び交うボールのスピードに目が追いつかないのと、なぜ反則なのかがよく理解できないのに、しょっちょうゲームの進行が止まるので、つまらないようです。犬郎の経験ですが、いままで、素人をゲームに連れて行って、再度、ゲームを見に行った人はいません。

競技人口が少ないのもむべなるかなです。日本では、国体の開催県が、天皇杯と皇后杯を獲得するために、マイナーなスポーツを中学や高校に援助をして数年間かけて育成します。日本の高校ホッケーの勢力地図をみると、そうした村おこし的なやりかたで成り立っていることがよくわかります。ヨーロッパにいて、よく整備されたクラブチーム組織やUNDER12くらいからのボトムアップでの選手育成方法を見ていると、羨ましいですね。選手だけでなく、コーチや審判の育成もかなり長期的に組織的に機能してます。

とまれ、犬郎としましては、今後もホッケーの人気向上と、犬郎個人の満足度向上の両方を目指して頑張ってまいります。