2010年2月8日

今日は、ロンドンは雪である。

昼過ぎからハラハラと降ってきていたが、夕方にいったん止んで、また降りだした。

さっき読み始めた『指導力』だが、読んでいるうちに止まらなくなって、結局読みきってしまった。

本棚にずっと飾ってあったものだが、平尾さんの『型破りのコーチング』で勢いがついて、ラグビーものを読みたくなったのだ。

この本は、関東学院大監督の春口廣と早稲田大監督の清宮克幸(ともに当時)の対論をまとめたものです。

面白いには面白いが、選手の起用法や、チームの伝統、部の規律などに焦点があたりすぎていて、「指導力」のタイトルがかならずしもしっくりくるものではなかった。でもラグビー好きの人にはたまらない内容です。

本書の冒頭に、関東学院の選手の非紳士的な行為に対する「90日間の出場停止」の処分について、春口監督が、レフリーや規律委員会は、処分を受けた選手を復活させるためにチームやいろいろな選手が犠牲になっていることまでよくわかっていないのではないか、との発言がある。

また別のところでも、処分を知った春口監督が「あの子はその傷をずっと負っていくのだぞ」と落胆と怒りからぶちまけたとある。この出来事を招いたことの一端が自分の教育方法にあることに思いをいたせば、この発言はないのではと犬郎は思った。

それにしても驚いたのは、このブログを書こうと、両監督をググッテいたら、清宮監督サントリーサンゴリアス退任とあるではないか。それも日付が本日となっている。早稲田の監督のときには、三連覇を狙える位置にあり、惜しまれてのサントリー監督就任であったが、サントリーでは本人の納得できる結果は出せなかったのだろうか。学生チームの育成とプロチームの強化は勝手が異なったということか。きっと出てくる、清宮の発言に注目したい。

それにしても、本当に気持ちの悪い偶然ですね。詳細は、http://athlete55.com/kiyomiya-katsuyuki/を参照されたい。

第一章 五年間の死闘をふりかえる
第二章 強いチーム、組織のつくり方
第三章 ジャパンを強くする方法


犬郎ノート(すんません!スヌーピー自分のためのノートなので整理されてません。)

なんとなくですけど、学生ラグビーでいちばん伸びるのは三年生ですよね。でもキャプテンになったら、うーん、プレーヤーとして伸びるのは難しくなりますね。(清宮)(p47)

感情をストレートに表現できる。それがキャプテンの重要な資質。(清宮)(p50)

チームづくりで大事なことは、自分たちがいま、どのあたりにいるかということを、選手たちにもきっちり確認させてあげること(清宮)(p150)

同じ実力なら、一年生を起用する清宮と四年生を起用する春口。勝負師のプロ監督(清宮)と教員(春口)の違いで説明可能か。春口は就職活動も視野に入れて選手を起用する。就職のラクな早稲田との違いを強調。
スヌーピー

学生チームと社会人チームの違い(スヌーピー):

学生は選手が4年できれいに入れ替わるが社会人は入れ替わらない。学生のラグビーには人を育てるという機能がある。プロにはない。チームになじまない学生に他大学でプレーする可能性はほぼない。プロにはある。おのずと指導法にも違いを生じるはず。

清宮克幸・春口廣対論 指導力 (光文社新書)/松瀬 学

¥840
Amazon.co.jp

『型破りのコーチング』の「日々是新書」で約束していた。平尾さんの講演録です。犬郎スヌーピーの都合のいいところだけ書いてあって、未整理なのであしからず。

でも平尾さん、いいこと言ってます。


基調講演 「ラグビーに学ぶリーダーシップと強い組織作り」

神戸製鋼ラグビー部 ゼネラルマネージャー
前 ラグビー日本代表監督
平尾 誠二 氏

講演の概要:

本論に入る前に、ぼくの分析するところのスポーツ界の現状について、簡単にご説明したいと思います。
まず、ひとつめは、優秀な人材の海外流出が活発化してきたという点でしょう。この動きを、ぼくはポジティブに解釈をしています。しかし、一般には深刻な問題であると考えられているようです。サッカーを例にあげれば、この間の、日本・オマーン戦では先発出場のイレブンのうち海外組は5名いました。近い将来海外組が全イレブンを占めるようなこともあるかもしれませんね。この現象をとらえて、例えば、Jリーグのファーム化を指摘する人たちがいます。しかし、別の見方をすれば、Jリーグを海外への登竜門と呼ぶことは可能でしょう。海外で活躍できるようなプレイヤーがたくさんでてくることはなにも憂うべきことではないのです。

たとえば、ひと昔前、甲子園球児に将来の夢を尋ねたら何と答えたでしょうか。たぶん、多くの野手は「巨人の4番」と答えたはずです。いまの球児に同じ質問をしたら「メジャーリーグ!!」と答えるのではないでしょうか。つまり、これは球児たちの目標値が上がってきていることをさしています。能力の向上に目標値の設定は不可欠ではないでしょうか。そして、その目標値自体が上がってきていることに意味があるのだと思います。

Jリーグのプレイヤーが海外にでるのも、目標値の設定が国内から世界に広がったということですからポジティブに理解したいですよね。

ふたつめは、コーチ受難の時代ということです。最近はプレイヤーがコーチを選ぶことが多くなってきました。従来型のコーチがプレイヤーを発掘して育てるという側面もなくなったわけではありませんが、こうした逆転現象が多くでてきています。

タイガー・ウッズは、現代を代表するゴルフプレイヤーですが、そんな彼でもコーチは自分で選んでいます。このコーチは、決してウッズよりも技術ですぐれているわけではないでしょう。しかし、そうしたコーチにおそらく信じられないほどの高額報酬を支払っているのではないでしょうか。フィットネスコーチやメンタルコーチなど、色々なコーチがプレイヤーにない知識をプレイヤーに合せたかたちで実践させ、レビューをして修正をはかっていきます。こうしたことはいまや珍しいことではありません。
また、コーチは、人生経験の豊富な年長者である必要があるのかといえば、そんなことはありません。ちなみに、オーストラリアはラグビーにおいては世界のトップクラスの国ですが、かの国のコーチはほとんどが20代から30代です。

自分はラグビーが専門ですので、ひとつラグビーの話を紹介させてください。昨年開催されました第5回ワールドカップはイングランドが初優勝しました。ワールドカップがはじまって16年にしての快挙に国中が沸き返りました。イングランドのラグビー協会が、ワールドカップに勝つために組織変革に取り組んだのは、ちょうど第2回のワールドカップの頃です。かれらが立てた計画は20年の長期にわたるグランドプランでした。その意味では、今回の優勝はかれらのプランより6・7年ほど早く実現してしまったわけですが、ぼくはなによりこうした長期のプランにこつこつと取り組む姿勢に驚かされます。そして、結果をしっかり出してくることにも驚きました。その一貫性とインセンティブの仕組みに特長があるのだと思います。イングランドチームには、オーストラリア人のパフォーマンス・ディレクター(日本でいえば強化コーチにあたるか?)がいますが、かれはラグビー経験のない、40才のホッケーコーチです。これも驚きです。

さて、導入のお話はこれくらいにしておいて、今日はスポーツの世界に身に置くものの立場から、すこしみなさんの日ごろのビジネスにご興味をもっていただけそうな話題を提供したいと思います。
みなさんは「チームワーク」という言葉を聞くと、どのような印象を持たれるでしょうか。ぼくは、ワークと聞くと、これは仕事ですからなにか悪い印象を持ってしまいます。仕事イコールつらい=さぼろうということです。でもこれを「チームプレイ」と呼ぶとなにか楽しいものに思えませんか。プレイは遊びですから、みんなで遊ぼうということです。これは楽しいわけです。仕事の場合、これは9時-17時と決められていれば、定時で終わりたいわけですけど、これが遊びとなると18時になっても19時になってもやめられないでしょう。仕事についても、じつはいい仕事をしている人は仕事を楽しんでいる人です。遊んでいる人なのではないでしょうか。

ぼくの知人に河合隼雄さんといって、精神分析の権威の先生がいらっしゃいます。文化庁の初代長官になられた方です。この方は、なんといっても文筆活動が旺盛で、たいへん多くの本をものされています。そういう方のことですから、「さぞかし本もたくさんお読みになるのでしょうね。」とお尋ねしたところ、「そんな時間はない。」とおっしゃる。なるほど、いろいろと仕事やらなにやらやりたくもない雑事に追われてお忙しいことは察せられますよね。しかし、河合先生は、「わたしは好きなことしかやらない」のだそうです。これはなにやら矛盾した話ではあるなと思案顔をしていたところ、先生は「面白くなくてやりたくないことは、面白くする。作り変えることが大事。」とおっしゃいました。きっと、この人の特技は面白くないことを遊びに仕立ててしまうことなんだろうと思いました。

スポーツの世界に話を戻しましょう。日本では、このプレイする人、つまり「プレイヤー」のことを「選手」といいます。選ばれた人なわけです。スポーツの世界では、言ったことをちゃんとする。ちゃんとしないと叱られる、恥をかくわけです。こうして、言いつけを守ったプレイヤーが選手として選ばれるわけです。うさぎ跳というトレーニングがありますが、これが体を鍛える方法として正しいのかはさておき、これもなにかの罰ゲームかの如く、やらないと叱られるものとして活用されているようです。これではいけないと思います。たとえば、大腿部を鍛えるためのものだとか、そうしたトレーニングにはなにかしらの意味をわからせてやらないとダメなのだと思います。

あるとき、ヤクルトの古田との対談で、彼に「素振りってあるけど、球を打たないのに、なぜ素振りで球を打つ練習をするの?」と質問したことがあります。古田は、一瞬答えに窮して、「なんでだろう。でも日本人の素振りは世界一きれいですよ。」と答えてくれました。素振りにもちゃんとした意味があるのでしょう。ピッチャーの投げる映像、飛んでくる球のイメージを描いて素振りをするのはいい素振りでしょう。この練習には意味があります。でも、先輩に言われたから、コーチに言われたからという素振りには意味がないのだと思います。こうした場合、素振りは人から言われた体罰みないなものです。100回素振りをしろと言われれば、1回の狂いもなく100回の素振りをする、決してそれは99回ではないでしょう。それでは先輩に叱られます。そして、101回以上の素振りをすることもないでしょう。うさぎ跳びもこれと一緒でしょう。

この、素振りのきれいさに関連してなんですけど、日本の場合、やはり型の競技に強いのではないかと思います。たとえば、昔でいえば体操ですよね。今でいえばシンクロナイズドスイミングなどがそうですね。これらはみな決められたことを、練習でやったことを試合の場面で、再現できるかが問われる競技なわけです。シンクロナイズドスイミングなどは、大会や会場が異なっても、プールの深さ、水温、音楽などすべての条件が同じ設定なわけです。こうした反復練習の再現は日本のお家芸なわけです。

野球とソフトボール、これをぼくはベースボール型競技と呼んでいます。この競技の特長は、監督の言う通りにするということです。「バントしろ。」、「盗塁しろ。」との指示があれば、プレイヤーは言うことを聞かなければならない。わざと言うことを無視したら、大変なことになりますね。それで、解雇されたプレイヤーもいる世界です。まるで日本の企業みたいです。さらに、プレイヤーと監督が同じユニフォームを着ています。他の競技で、監督がプレイヤーと同じユニフォームを着用しているのを見たことがありますか。ある意味、プレイヤーと監督がおなじ土俵にたっているのかもしれません。
ところで、これがサッカー、ラグビー、ホッケーとなると、日本は弱い。この競技の特長はプレイヤーがゲームを作らなければならない点にあります。こうした、自分でゲームを作るということが日本人は苦手なようです。

ぼくが日本代表監督だった時代、ニュージーランドコーチ5名、フィジー1名と一緒に仕事をしていました。かれらとも話しをしていたことですが、日本人は記憶のきめ細やかさがすばらしいのだそうです。つまり、「ちょっと」の間合いの調整がすごいんです。「パスをちょっと遅く出せ。」であるとか、「もうちょっと右に寄れ。」といったときのちょっとの体内メモリが優れているんです。釜石シーウェイブスで先ごろまでプレイしていたアンドリュー・マコーミック(日本代表初の外国人主将)に右に寄れといえば、彼は1㍍右に寄るでしょう。パスも明らかに誰の目にも遅くだすわけです。1秒くらいタイミングが遅いでしょう。これが、日本人ですと、パスも受け取ったプレイヤーでないと、遅くなったかどうか判別できない。そうしたレベルで調整ができるんです。さっきの話ではないですが、きれいなパスであれば、日本プレイヤーのパスは世界一きれいなパスのはずです。

元オーストラリア代表のスクラムハーフにグレアム・バショッフというプレイヤーがいて、つい先ごろまで日本のサニックスというチームで活躍していました。このプレイヤーは、ラグビー100年の歴史のなかでも3指に入る名プレイヤーといわれています。彼はスピードでいえば村田亙よりも下ですし、パススピードは堀越よりも下、キックも永友よりも下なんです。それではなにがすごいのかというと、ゲームを作る能力がすごいわけです。ぼくが、彼のゲームをみていたら、最初の10分くらい、極めて初歩的な反則をたくさんするわけです。知らない人がみたら、なんだあいつルールわかってんのかって感じです。でも、あとで聞いてみると、彼は審判の力量を見極めていたらしいんです。ルールというものには、人間が判断する限り幅があります。いいプレイヤーはルールぎりぎりでプレイするんです。こうして、ぎりぎりを見極めておいて、ゲームを作っていくわけです。こんなプレイヤーが15名もそろっているワラビーズやオールブラックスに勝てるわけがありません。ラグビーの反則に、ノットストレートやノットリースザボールというのがありますが、こうしたぎりぎりのプレイをするためには、プレイヤーはルールを誰よりも厳密に理解していなければダメなんです。ぼくが代表監督のときに、日本代表のプレイヤーを集めてルールのテストをしましたが、平均点は60点でした。ルールを自分達で作っていってしまう世界のトップとルールも満足に理解していない日本代表、どちらがゲームに勝つかは自明ではありませんか。

先述の河合先生は、日本の組織で一番危ない奴は、クリエイティビティのある奴だとおっしゃる。つまり、人と違うことを言う奴だと。こうした人達を「異端児」と呼ぶことが多いですが、これって変な日本語だと思いませんか。それは余談として、こうしたクリエイティビティのある奴をどうやって組織に取り込めるかが重要なのです。ラグビーでも、ビジネスでも同じではないでしょうか。

ぼくは、ラグビーについても戦略・戦術の時代でないと思っています。ゲーム(ビジネス)モデルもしかりです。こんなものはたったの1試合で風化してしまします。ビデオで解析されてしまいます。個人レベルで状況を変えていかなければならないんです。いま、サッカーのFIFAランキングは29位です。日本の国力は30位なのだそうです。

皆さんは、このランキングは、日本の国力からみて正当だと思いますか。これだけの恵まれた環境があって、道具も買うことが出来て、それでいてこの順位で満足していてはだめだと思います。フランスの学校などを見ていると、教会の中に学校があったりして、満足に運動ができるグラウンドすらないんです。日本の学校を見てください。芝のグラウンドとはいわないですけど、かならず運動会ができる校庭があります。ほとんどの子供達が、ボールもスパイクも親にせがめば買ってもらえるのではないでしょうか。ちなみにラグビーは世界20位です。この20位も競技国はサッカーの半分くらいですから大したことはないです。競技人口は世界で4位なのですから。

個人レベルで状況を変えるとはどういうことでしょう。これは、個人の判断能力を上げていくということになると思います。決断と実行が日本人にはないように思われます。この能力を上げていくためには、指導者はあまり怒ってはだめです。挑戦が起こらなくなってくるんです。怒ってよいのは、もともとやれることをやらないプレイヤーです。こうしたプレイヤーはどんどん怒りましょう。でも、誰もやったことのないことに取り組んでいるプレイヤー、こうしたプレイヤーを怒るのはいけないと言っているわけです。

チームプレイが必要でないと言っているわけではないんです。個人の判断能力を上げていった上での、チームプレイが重要なのだと思います。いかがでしょうか、皆さんのビジネスの場においても今日のぼくの話が少しでも役に立てば幸いです。ご清聴ありがとうございました。

参考文献として、以下をオススメします。『型破り…』は省略します。

イメージとマネージ―リーダーシップとゲームメイクの戦略的指針 (集英社文庫)/平尾 誠二

¥540
Amazon.co.jp

「日本型」思考法ではもう勝てない/平尾 誠二

¥1,575
Amazon.co.jp

以上
2010年2月7日

金井先生と平尾さんの本は、いまでも即買いの対象となっている。

自慢だが、お二人の本はすべて書店に並んだ日には読み終えているので、執筆者本人と編集者を除けば、犬郎は、日本で100番以内に読了した人といえるのではないか。

まるで、ハリーポッターの新刊本を誰よりも早く手に入れたい、宮沢りえの写真集をだれよりも早く見たいという人たちの気持ちに通ずるものがある。むかし、少年ジャンプを誰よりも早く手に入れて喜んでいたことのアナロジーである。

この二人の共著は初めてではなく、すでに『日本型思考では勝てない』で一度実現しています。神戸在住の最強コンビといってよいでしょう。

金井先生が、平尾さんの現場での実践理論を、組織論・リーダーシップ論などに当てはめて解説していく対話スタイルのもので、通説のコーチングの理論を覆す、平尾さんの「型破りの」コーチングに学べる本である。

すごくよい本です。犬郎は、三回通読し、12冊購入して、日本の職場仲間にプレゼントしました。

平尾さんの講演を聞いたことがある人は、この本の語り口に平尾調を感じることができるでしょう。講演も抜群にうまいひとです。

興味のある人は、2004年の平尾さんの講演「ラグビーに学ぶリーダーシップと強い組織作り」の犬郎ノートをご参照ください。

まえがきに代えて―言葉にする力 金井壽宏
第1章 型を教えてもメンタルは育たない
  ・なぜパスは下から投げるか
  ・「おまえ恥ずかしくないのか」は禁句
  ・叱っていい相手や場面は選びなさい
  ・反発係数が低くなって若者たち
  ・手を抜くための言い訳ばかり
  ・「馴れ合いのチームワーク」なら無責任を生み出すだけ
  ・子供に個室を与えるときのルール
  ・集中力があればいいというものではない
第2章 日本の組織では「自律ある個」は生まれないのか
  ・「ひらめき」が育たない土壌
  ・他者との関係性のなかにある日本の個人「イーチネス」
  ・「チームワーク」より「チームプレー」―仕事(ワーク)と遊び(プレー)
  ・個の成熟が組織の強化につながるためには
  ・人は一人で成功しても満足できない
  ・「やらなければならない」から「やれる」「やりたい」へ
  ・指示待ち部下は上司がつくりだしている
  ・なぜ自分で考えない部下が生まれるのか
第3章 コーチングの通説を疑え
  ・「オレの背中を見てついてこい」は最悪
  ・常識や伝統は疑ったほうがいい
  ・自分でセオリーを構築し、実践し、伝える
  ・「いい話を聞いた」と満足させるだけでは意味がない
  ・チームを導くには三人のリーダーが必要
  ・カリスマ的リーダーはもはや存在しえない
  ・「教えるプロ」に年齢は関係ない
  ・「人生の先輩ヅラ」は一歩職場を出てからにすべし
  ・組織には要らないものがたくさんある
第4章 だれもがついてくるリーダーシップ
  ・リーダーを選ぶときは部下の意見を真に受けない
  ・バランス感覚よりもアンバランスをものともしない力
  ・教える側の立ち位置と距離感
  ・一人で一〇〇人を束ねるのはもはやムリ
  ・「スーパー・リーダー」の条件
  ・個別配慮でやる気を回復
  ・「わがまま」ではなく、みんなが納得する「特別扱い」
  ・リーダーシップはリーダーとフォロワーのあいだに漂っている
第5章 コミュニケーションの新発想
  ・発信機ではなく受信機の精度をあげる工夫
  ・相手の受信機を高めるのは教える側の受信機しだい
  ・弱点を直す声がけの方法
  ・ダメ出しから入るな
  ・アドバイスに必要な三つのポイント
  ・言葉のセンスを磨く
  ・相手の予想を裏切るコーチング手法
  ・思い込みやうぬぼれを気づかせるには
  ・二番セカンドを自分で選んだという感覚が大切
第6章 やる気は裏切りから生まれる
  ・ほんとうに「アメとムチ」は正しいのか
  ・だれかに喜んでもらいたいという実感
  ・ニンジンの危険性
  ・意味なくやらせても根性は育たない
  ・指導に必要な論理的思考力と洞察力
  ・目標は驚きや感動があってはじめて共有できる
  ・「バカな」と「なるほど」
  ・現代ビジネスマンは「複雑人モデル」
第7章 最強のチームをつくる
  ・世界標準を知る機会
  ・優秀な人材を見抜く基準
  ・情報を集め判断する力
  ・二重ループ学習の効用
  ・人を最大限に活かすための編集力
  ・チームへの誇りは自分へのプライドから生まれる
  ・責任転嫁がなくなるチームづくり
あとがきに代えて―強いチームには「湿り気」がある 平尾誠二



犬郎ノート(すんません!。スヌーピー
自分のためのノートなので整理されてません)

はたして世界レベルを目前にしたときに、競争するにしろ共同するにしろ、どのようにふるまえばよいのか。それが本書の隠れたテーマ。(金井)(p3)

自分ができることをほかの人にも伝えたいという思い(p4)

いままでできなかったことができるようになったときに、わがことのように喜ぶのが、もっともポジティブだとの持論…中略…「それは人格者であるかないかの問題ではなくて、ぼくが自分で選び、没頭しているのがチームスポーツであるラグビーだったからです。自分がうまくできることが、ほかのメンバーにもできるようになったとき、チームが強くなるのです。」(p4-5)

自分のアンテナに引っかかることについては恐ろしく研ぎ澄まされた感性と経験から蒸留された自分なりの考えをもっています。それが確固たるものとなり。実践を導くに足るものとなっているときに、私はそれを「実践的持論」と呼んでいます。(p5-6)

「名選手必ずしも名将にあらず」が少しでもあてはまるのだとしたら、それはチームの大きな絵を描くにしても、プレーの細部についても、そのエッセンスを言葉にして伝えるのがあまり得意ではない人を指すのでしょう。(p6)

「個の弱さを組織力で補うという発想では世界では勝てない。強い組織には強い個が必要である。」
「精度の高い技術だけでなく、状況判断ができる自立した個人を育てるべき。」(p7)

平尾さんの持論はよく見ると、会うたびに姿かたちが微妙に変化しています。中心を貫く柱は決して揺るがないものの、それ以外の部分に手を加えたり、別のものと入れ替えたりすることを平尾さんは躊躇しないのである。それがすばらしいところです。(p11)

スポーツ界にかぎらず、日本のあらゆる組織がいま必要としているのは「破」ではなかろうか。…中略…この本で一人でも多くの人が「型」を破ることの重要性に気づき、さらに次の段階である「離」に向かった歩きはじめてくれたなら、こんなにうれしいことはありません。(p13)

型は教えるけれど型の意味は教えないという特徴が、伝統を継承していくのが自分の仕事なのだと思い込んでいる、古い日本の指導者にはある。(p23)

パスの本質は、AからBにボールが渡ることによって、現在より有利な状況をつくる行為…中略…本質きちんと選手が理解していれば、苦し紛れに球を出すような最悪のパスは、確実に減る。正しいほうり方を教えるなんていうのは、順番からいったらもっとずっとあとでいい。(p24)

安藤忠雄の「あ、それ知らんわ」(p26)

元ジャパンキャプテンのアンドリュー・マコーミック:日本の選手に足りないものは何かと聞いたら、「メンタルタフネス」と返ってきた。(p35)

ボールを奪った相手からどんなに遠くにいても、走り出すのはマコーミックがいちばん速い。彼は決して脚は速くない。ただ、反応が極端に速い。そのとき日本人選手はどうしているかというと、これがみごとに反応していない。だれかがタックルに行くだろうと思って見ている。(これは)プレーに対して当事者意識が薄いからそうなってしまう。これをマコーミックはメンタルタフネスが足りないといったのでしょう。(p38-39)

1964年のキティ・ジェノベーゼ(冷淡な傍観者)の「傍観者効果」の事例。(p39-40)

街中で心臓発作を起こした場合、目撃者が一人のときは81%の人が救助に駆けつけたのに、その場に複数の人がいると救助してもらえる確率は31%以下に下がった。(p40)

よいグループ経験と悪いグループ経験(p40)

日本のプレイヤーは集中力だけならかなりあるほう。ただ、日本人の場合、集中と分散の使い分けがうまくできる選手が少ない。ここはリラックスしたほうがいいという場面でもずっと集中していたり。(p45)

「ロナウジーニョの想像を超えるパスにディフェンダーはついていけません」ってまさに日本的発想。こういう場合はこうパスするという決め事が頭にあるから、そこから外れたものはみんな「想像を超える」ということになってしまう。(p52)

集団のなかで個人をどのように定義するか。西洋で個人を意味する単語は「インディヴィデュアル」(individual)、つまりこれ以上分割(divide)できない単位が個人。日本の個人は人と人との関係性のなかにある。河合隼雄は、これを「イーチネス」(eachness)という造語で表現。(p53-54)

この国がもともと大事にしてきた人の関係性を断ち切って競争を煽るような、非常に粗削りな成果主義を導入する企業がここ数年、目だってきています。しかしながらその結果はといえば、個人の力は多少高まったものの、組織としての力は逆に劣化してしまったケースのほうが多いのでないか。(p55)

日本の組織がどうも窮屈に感じられるのは、規律の割合が大きすぎるからではないか。…中略…ですから、組織と個人の関係を考えるにあたっては、まず、遊び=プレーの概念を全員が共有し、そのうえで自由と規律のバランスを考えるのが、ぼくなりのやり方。(p56)

マイケル・ジョーダンがバスケットボールをしたらワークで、ギターを弾いたらプレー。エリック・クラプトンがギターを弾いたら仕事で、バスケットボールをしたら遊び。(p57)


上に立つ人の持論は、その人が意識するしないにかかわらず確実に組織に影響を与えるので、指導者や管理者は、自分は仕事やリーダーシップ、部下のモティベーションなどに関してどのような考えをもっているのかを、つねにチェックしなければならない。(p69)

まじめで品行方正、大胆さや狡猾さ、新しいアイデアを提案する役割、このリーダーに求められる三つの役割を一人で引き受けるのは、客観的に見れば大きな矛盾というところから、機能別に「チーム・リーダー」、「ゲーム・リーダー」、「イメージ・リーダー」に分けた。(p85-90)

「チーム・リーダー」に不可欠なのが決断力と判断力、これを「見切り」と「仕切り」

「ゲーム・リーダー」には自負心や豪胆さ、応用力、柔軟性、構想力がないといけない、これを「仕組み」と「仕掛け」

「イメージ・リーダー」は、あまりリーダーっぽくはないけれど、おもしろいことばかり言っているようなヤツが向いている。アイディアを出すのが役割、これを「危うさ」と「儚さ」とした。※このアイディアマンのはみな短命だ。

高橋潔(神戸大教授)の「リーダーシップ脳の4次元」モデル(p89-90)

未来志向/現在志向 × 業務系(理性)/対人系(感情)

未来志向 × 対人系(感情)=育成型リーダーシップ(ドリル・リーダー)
未来志向 × 業務系(理性)=ビジョン型リーダーシップ(イメージ・リーダー)
現在志向 × 対人系(感情)=チームワーク型リーダーシップ(チーム・リーダー)
現在志向 × 業務系(理性)=業務遂行型リーダーシップ(ゲーム・リーダー)

本来、年齢はリーダーとしての適性や資質にはあまり関係ない。1990年代イングランドの主将に務めたウィル・カーリング(22歳で代表に選出されたはじめてのテストマッチでキャプテン)。(p93-94)

サッカー中田英寿のパスには「受け手への愛がない」に対して、相手が苦労しても正しい方向にパスをだすのが大切(平尾)。(p97)

先輩に「さん」付けしない中田。欧州プレーの経験?「さん」をつけないほうが短く呼べて合理的。スヌーピー

日本も西洋のようにファーストネームで呼び合うことにしたら、へんな意味での年功的な考え方はなくなるだろうか。「○○部長(役職呼称)」読みから「○○さん(苗字さん付け呼称)」を経て、「イヌロー(ファーストネーム呼称)」。(スヌーピー

選手[社員]が成熟していないうちは、自由や権利を際限なく欲しがりますから…中略…監督[上司]は選手[社員]の意見を聞くにしても、あまりそれを真に受けないほうがいい。(p105)カッコ内はスヌーピーが補足。

名監督といわれているような人たちは、類まれなバランス感覚の持ち主というよりも、アンバランスをものともしない人のほうが多い。(p106)

(監督の仕事で)いちばん難しいのは立ち位置…中略…いったん立ち位置を決めるコツを覚えてしまえば、今度はどのチームの監督になっても通用する。…中略…一般的に、理論家は遠く情熱家ほど近づきたる傾向にある。(p108-109)

リーダーシップはリーダーのなかにあるのではなく、リーダーとフォロワーのあいだに漂っている。(p123)

コーチングとは教える側の発信機ではなく、いかに教わる側の受信機の精度を高めるかがポイント。(p126)

コーチのアドバイスの3つのポイント(p137)
①教えることを一つか二つにしぼり、できるだけ簡略化して伝える。
②頑張ったらできることしか言わない。
③それができたら状況が激変したことを、必ず本人が実感できる。

モチベーション理論の四体系(p152)

①欲求の中身について書かれているもの。達成動機や親和動機、欠乏欲求、自己実現欲求など。その内容としては、不快や緊張を緩和したいという欲求、つまり回避欲求と、快や楽しみに近づき実現したいという接近欲求がある。(金井)は前者を緊張系、後者を希望系と呼んでいる。
②その欲求が具体的なやる気につながっていくプロセスやメカニズムに言及したもの。外発的な動機づけと内発的な動機づけの違いを扱ったものや、報酬と欲求充足行動の関係などはここに入る。
③学者がつくった理論ではなく、自分自身がどういうときに落ち込んだり、頑張る気になったりするかを説明する。優れた実践家のセルフ・セオリーに注目する理論=「持論の理論」。
④ラグビーのようなグループ競技や活気のある職場で起こることで、みんなが緊張感と希望をもって本気で頑張っているので自分もそうなってきたという関係性に注目するもの。

チームのビジョンを選手全員が共有するのは、絶対に必要なこと。そのためには、ビジョンそのものに、やりがいやおもしろさを感じさせる力がなければならない。逆にいえば、選手がビジョンに興味をもてば、勝手に共有するようになるはず。では、どんなものなら選手たちはおもしろいと感じるかといえば、それは、彼らの思考やイメージの枠を超えたもの。(p166-167)

(希望の心理学に言及して)希望の構成要素の一つは「ゴールパワー」といって、目標そのものに力があること、でもこれだけではまだ足りなくて、その目標にいたる確かな道筋、「パスパワー」も同時に示せなければ真の希望とはならない。(p167)

高いモティベーションを維持するための3つのポイント(p172)
①既存の選手のモラル
②見返り
③ついていきたい、一緒に目標にむかって努力したい人の存在

モティベーションの源泉の変遷(p173)
賃金 → 職場の人間関係 → 自己実現モデル → 経済人モデル → 複雑人モデル

自分自身が世界標準を身につけ、さらに次の世代にそれを継承していくことを、一人ひとりが真剣に考える時期が来ているのではないか(金井)(p176)

ラグビーでも、ゲーム中のからだの向きを見れば、その選手が優秀かそうでないかは、すぐにわかる。端的にいえば、その選手の情報収集能力がわかる。(p178)

アイツがミスしたから負けたとか、アイツがあんなパスしなければ勝てたとか、責任のベクトルが他人に向いたとたんに、その人の成長は止まる。そうではなくて、なぜアイツのミスを俺がカバーできなかったんだ、あるいは、内側でなく外側に走るよう練習中に指示をしておくべきだったと、つねに自分のできることを全員が考えているチームくらい怖いチームなない。(平尾)(p190)

好きでたまらないか、やりがいを感じているか、少なくともやっている意味がわかっている人間でないと一流にはなれない(岡仁詩 元同志社監督)(p198)

ミスをしたときは反省などせず、「さあミスを取り返すぞ」と、いままで以上に積極的かつ大胆にプレーしなければならないのだ。(平尾)(p200)

引用

ドナルド・ショーン(Donald A. Schoen)(MIT教授)(p9)
現実の世界でうまく物事を実践しながら、その経験から得た教訓を言語化できる人のことを「内省的実践化」(reflective practitioner)と名づけた。

マーカス・バッキンガムとドナルド・O・クリフトン(p32)
「あらゆることが完璧にできるようになることにこだわる必要はない。ダメージコントロールにこだわるようり、強みを見つけ、そこを最大限に伸ばすほうが、個人でも組織でもよっぽど生産的だ。」

マーティン・セリグマン(p33)
「なんで心理学者はうつとか神経症とか不安のようなネガティブなことばかり研究して、人間のポジティブな部分を研究テーマにしないのか」

河合隼雄
日本人は個室のルールがわかっていない。欧米では子供に個室を与えても、生活はできるだけリビングルームですることを徹底させる。個室を与えても部屋のドアは完全に閉めないというルールもある。つまり個室といってもそこは、逃げ込むための場所ではない。(p42-43)

教育には、「教える」と「育てる」の両面があるのに、日本には「教師」はいても「育師」がいない。(p162)

マイケル・シュレーグ(『シリアス・プレー』(Serious Play))(p57)
真のベンチャー企業、つまり冒険している企業は、真剣に働いているのではなく真剣にプレーしているのだと結論づけている。

ディビッド・ベイカン(『人間存在の二重性』(The Duality of Human Exsistence: Isolation and Communion in Western Man))(p60)
人間が何物かを達成したいとの気持ちをもつのは、神のエージェントという意識がどこかにあるからだというのがエージェンティック(agentic)の意味。しかし、たんに神の代理人としてがんばり続けるだけなら、やがてその人は、あたかも自分が神のようにふるまうがん細胞に堕してしまう。そこで、コミューナルという共同性が必要性が必要になってくる。

加護野忠男(『日本型経営の復権』)(p60)
日本企業の長期指向、現場の知恵重視、オペレーションのきめ細やかさ、取引先や従業員のコミットメントなどに関するこれまでの研究を踏まえて、経営者たちとともに、一見すると非合理に見えるものまで、含めて、日本型の経営のあり方や人との関係、思考法におけるよさをしっかりと認識すべき、と主張。

「日本の会社もこれからは個の尊重が大事になってきますね」(金井)に応えて。「そんなややこしいこと言わんでも、組織が成り立っていたときのほうがよかったのと違うか。」
「会社に入る前に、どんなかいしゃで何をやるかも知らずに現実主義的に試験を受ける学生がいるのは嘆かわしい」(金井)に応えて、「そんなものわからなくても、長くいるうちに好きになるのが会社だ。」(p81)

エイブラハム・H・マズロー(p63)
ほんとに自己実現を達成したといえるのはシュバイツァーやトーマス・ジェファーソンといったごく一部の人間だけで、ふつうの人はなかなかそこまで到達できない。

ディビッド・マクレランド(p63)
人間の三大動機に、達成動機と他人を支配したいというパワー動機、そしてもう一つ、他人と仲良くしたいという親和動機をあげている。

ダグラス・マクレガー(MIT教授)(p66-68)
仕事なんておもしろくないものという理論をX理論、やりようによっては仕事も趣味のように楽しめるとの理論をY理論呼ぶ。イヤでも「やらなければならないこと」をアメとムチを使ってでもやらせるのがX理論で、仕事であっても「やりたいこと」なら進んでやるはずなので、仕事そのものを楽しんでまらったらいいと考えるのがY理論。みんながY理論をめざすべきだなどということをマクレガーは言っているのではなく、ポイントは、マネジャーの持論がそのまま反映されて職場ができあがるというところ。

チャールズ・マンツ(p113)
「セルフ・リーダーシップ」を提唱。メンバー一人ひとりが自分自身をいいかたちでリードできるよう、さりげなく誘導するのがセルフ・リーダーシップ。「気がついたらあの人のおかげだった」とメンバーから思われるような人こそが、究極のリーダー。

ただし、この教えは、リーダーは何もせずに放任がいいと言っているのではなく、リーダーが「為さない」とこを一生懸命「為す」ことで、メンバーがみずから目標を立て、やる気をだし、さらには自分で自分に報酬をあたえるようになるということなので、かなり高度なリーダーシップといえる。(金井)

デニス・ルソー(カーネギーメロン大教授)(p119-122)
キャリアにおいて個人は「idiosyncratic(特異=わがままな) deal(取引)」を要求し、雇用する側もそれを認めたほうが「ideal(理想的)状況になる」という"i-deal"という概念を打ち立てた。

エドワード・L・デシ(p159)
「外発的な報酬も自己制御(selfregulation)できるようになったら、それはもはや外発的動機づけではない」、一方で、せっかくおもしらいからという内発的動機でモティベーションが高くなっているところに、新たに報酬を加えると、今度は報酬に支配されるようになることもあるので、これには気をつけなければならない。

吉原英樹(南山大教授)(p170)『バカなとなるほど-経営成功のキメ手』(同文舘出版)
「バカな」と言われるような部分がなければ、他人がとっくにやっているはずだ、でも「なるほど」がないとだれもついてこない。だから優れたビジネスプランには「バカな」と「なるほど」の両方が必要。

クリス・アージリス(ハーバード大)
「行為中に実際に使用している理論」(theory-in-action; theory-in-practice; theory-in-use)または「内省しないと気づかれない理論」(theory-in-reflection)

いまやっている方法が正しいんだと、同じやり方を延々とくりかえすだけではダメで、そうしながら同時に、このやり方でいいのかと検証し学習しなおす「二重ループ学習」という概念を提唱。

型破りのコーチング (PHP新書)/平尾 誠二

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2010年2月7日

この間、自分のパソコンの古いログを整理していたら、懐かしいものが出てきた。

米原万里さんが徹子の部屋にゲスト出演した際の会話原文である。だれかがネットに掲載していたのを取っておいたのだと思う。

思えば、犬郎は、この徹子の部屋をきっかけに米原さんの本を読むようになった。米原さんがなくなったのは2006年、そのときはかなりを衝撃を受けた。

エッセイの面白さも格別だったが、通訳(ロシア語)としても超一流の方でした。また機会があったら『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を再読してみよう。

それにしても、徹子の部屋は怪物番組だ。放映36年目に入ったというから犬郎が小学生のときから放映していることになる。ゲストを呼んでおいて、そのゲストを置き去りに勝手にしゃべりだしたり、ときにとてもトーク番組とは思えないもの代物だが、それが受けていままで続いてきたのでしょう。

芸能人ばかりをゲストにしているが、たまに、政治家や作家、映画監督がゲストのときには見ていました。

犬郎は、毎年2月2日がくると「徹子の部屋」を思い出してしまう。犬郎の誕生日と「徹子…」の番組開始日(何周年記念も当然)はともに2月2日なのである。


徹子の部屋: ゲスト:米原万里(よねはらまり) 2002年7月25日放映

黒柳 「ロシア語の同時通訳でいらっしゃって、エッセイストでもいらっしゃって、テレビのコメンテーターもなさいます米原万里さんです。私、今すごく(米原さんの着ている)お洋服を褒めていて、これリボン刺繍で全部編んだものだと思っていたのですね。ところがこれは伸びる素材でできていて、私はイッセイのプリーツのやつは知っていますけども、」

米原 ≪同じ原理で作られているとは思いますけどもね。私、今ほとんど同時通訳はやってなくて。あれは緊張するからほとんど太らないのですけども、いくら食べても。でも食べる量を減らさないで物書きになったら、ものすごい勢いで体重が増えて、着られる物はこれ1着だったのですよ。≫

黒柳 「胸も大きくていらっしゃるのね。限りなく伸びるのですってね。」

米原 ≪そうですね。でもそのうちこのプリーツが見えなくなってね(笑)。≫

黒柳 「さて米原さんは、この徹子の部屋に、昔、ロシアから、ソビエト時代ですけども、素晴らしい人形劇が来た時に通訳で来ていただいたのですよね。すごいのはセリフを全部彼らはその国に行ったらばすぐに覚えるのですけども、その感じが「ボークタチハ、ニンギョーウナンダー」という感じで楽しかったのですけども。で、どうしてロシア語がお出来になるのかと思ったら、」

米原 ≪小学校3年の時に父の仕事の都合で、チェコスロバキアのプラハというところに5年くらい滞在したのですね。≫

黒柳 「今思ったら一番言葉を覚えている年代ですよね。」

米原 ≪吸収力がね。≫

黒柳 「私、疎開していたからわかるんだけども、弟も妹も赤ちゃんだったからわかんないんだけども、弟も小さかったからベラベラだったのにしゃべった事すらおぼえてないのですよね。小さかったから。」

米原 ≪8歳以上じゃないと残らないと言いますよね、言葉は。≫

黒柳 「そうなのですか。東北弁を私は良く覚えているんですけども。普通チェコにいらしたらチェコ語だと思うのですけども。」

米原 ≪チェコ語だと日本に帰ってきてから、教科書とか先生とかほとんど見つからないじゃないですか。その後勉強を続けるためにはロシア語だったら勉強を続けられるだろうという事で、ロシア語学校に私と妹を通わせる事になって、≫

黒柳 「ソビエト学校で、」

米原 ≪ソビエト学校で。当時のソ連邦の外務省が直接経営する学校で。先生も本国からやってきた先生で、教科書もロシア語で、授業も全部ロシア語で。私の親と同じ考えする人が多くて、チェコにいる外国人は全部そのロシア語学校に入っていたのです。≫

黒柳 「日本に帰っていらしてからは、外国語大学のロシア語学科を卒業してその後東大の大学院でロシア語・ロシア文学をおとりになったっていうかたですから。ゴルバチョフさんやエリツィンさんなどの偉い方の通訳をなさる時は日本語である程度わかってないと通訳できない。当たり前ですけどね。」

米原 ≪ある程度できないと成り立たないですね、仕事としては。≫

黒柳 「日本語がわかってないとできないという事ですよね。」

米原 ≪成り立ちませんね。≫

黒柳 「ある研究会で日本しかわからないことをおっしゃる方がいらっしゃって「ロシアは今、大政奉還で」って。」

米原 ≪ソ連邦が崩壊してロシアになって、経済改革に関するシンポジウムで、日本の学者が、「まあ、大政奉還はなったけども、廃藩置県はまだという状態ですな。ハハハ。」って笑って、私は同時通訳できずに、何がハハハだって思って(笑)。≫

黒柳 「廃藩置県を説明するだなんて。日本の歴史をねえ。」

米原 ≪難しいですよね。≫

黒柳 「そういう時はどうなさるんですか?」

米原 ≪権力は奪取したけども、制度改革はまだだって。≫

黒柳 「場合によっては、「この方は今とても面白い事をおっしゃてるのですけども、通訳できないのでお笑いください1・2・3。」とおっしゃる時もあるのですって(笑)。」

米原 ≪私は、まだそれはやっていませんけども。私の同僚はそれをやって切り抜けたりしていますね。「”毛沢東思想”中身を取ったら妄想(毛想)だ」なんていわれてもね。訳できませんよね(笑)。≫

黒柳 「日本のダジャレをね。」

米原 ≪これをロシア語にしろと言われてもわかりませんよね。≫

黒柳 「それと英語で困るのはお米の話で、「アメリカはなんと言っても米国ですから。」といわれると、なんといったらいいのかって。そういうこともあるのですけども、今度大宅壮一賞をお取りになった本がとても面白いのは、題名が第一可愛いですよね。」

米原 ≪”嘘つきアーニャの真っ赤な真実”。≫

黒柳 「そのソビエト学校でお会いになった、特に3人のお友達のことを、女の子のね。それがすごく個性的で、どうしてあんなに面白い子がそろったのでしょうね。」

米原 ≪ええ。ただね、私、日本人で行ってつけられた形容詞が”謙虚だ”とか”ひかえめだ”とか付けられて、いっつも謙虚なマリちゃんと言われていたのですね。(※写真が登場)後ろにいる子がリッツァ。≫

黒柳 「この子がおかしいのは算数が全然できない。この子があんまりできないので先生が鶏は・・あの鶏の話をしてください。」

米原 ≪あの、授業なんか嫌いだからおしゃべりしているわけ。先生が応用問題を出して、”集団農場でトラクターが2週間畑を耕しました。”そこでリッツァが、先生の話を聞いてないと気が付いてやってくるのだけども、「リッツァ、今の問題答えなさい。」。本当は違う応用問題なのだけども、軌道修正して、「集団農場で2週間トラクターが畑を耕した。2台のトラクターが畑を耕した。1台のトラクターは何週間畑を耕しましたか?」って尋ねるのね。(リッツァは)「あら!1週間に決まっているじゃない」って言うのね。≫

黒柳 「フフフ。」

米原 ≪先生も困っちゃって、もう一度何回も繰り返すのですけども、≫

黒柳 「2週間って言っているのですからね。」

米原 ≪「(先生はリッツァに尋ねる)じゃあねリッツァ、ここに鶏がいます。鶏は2キロぐらい。この鶏が二本足で立っています。この鶏に体重はいくつですか?」「(リッツァは)2キロです。」、「じゃあ鶏は1本足で立ちました。鶏の体重は?」、「(リッツァ)1キロです。」。≫

黒柳 「ハハハ。」

米原 ≪教室中は笑の渦で、先生も、つい吹きだしてしまうのですけども。≫

黒柳 「であなたの体重は?って、先生がまた尋ねて。」

米原 ≪「44キロです。」って。≫

黒柳 「初めに言いたくないっていうのね。」

米原 ≪そうそうそう(笑)。で、先生は、これは応用問題だから嘘でもいいから言ってって「(リ)45キロ」。先生が46キロにしましょうって言ったら「いやです絶対45キロです」って言い張るのです。わかりました44キロにしましょう。今、二本足で立っていますね。体重は何キロですか?「44キロです。」。じゃあ片足で立って御覧なさい。今のあなたの体重は何キロですかって「22・・・44キロです」っていうのね(笑)。先生がリッツァ、鶏は片足で立つと体重が半分になるのに、なぜあなたは片足でたっても体重が変わらないのですかって言ったら、「ひどい先生」って言って泣き出してしまって、「鶏と私を一緒にするなんて許せない。」って言って泣き出すのね。≫

黒柳 「おかしいわね。こういう子供を相手にしているので、先生も大変だと思うのですけども、主張が強いっていうかね。自分の算数ができないのを棚に上げてね。私もいろんな”長靴下のピッピ”とか童話とかたくさん読んでいるのだけども、そういうの読んでいるぐらい面白かったのね。日本ではそういうのは許さないと思うのだけども外国では日常的に、」

米原 ≪そうですね。1クラス人数が少なかったので、≫

黒柳 「何人ぐらい?」

米原 ≪15~20人ぐらいで、20人を超えると2つに分けるのですよ。生徒も1人1人の個性がわかったし、先生もフィードバックというか、教えた事がどう理解されたかわかりながら授業できたので。私も40年以上前のことでもしっかり覚えているのですよね。≫

黒柳 「読んでいて面白いのだけども、そのリッツァという子供はあまりに勉強ができないものだから、先生が、あなたがギリシャのすごい、」

米原 ≪そうそうそう(笑)。ギリシャの有名なユークリントスとかアルキメデスの末裔だと思いたくないっていったぐらい。≫

黒柳 「次にヤスミンカというユーゴスラビアの女の子。この子はすごく頭がいい。」

米原 ≪信じられない事に私だと6ヶ月ぐらいかかるのですよ。ロシア語できるようになるのに。ヨーロッパ系だと3~4ヶ月、同じスラブ系でも2~3ヶ月かかるのですよ。が、来てすぐにペラペラなのですよ。○×テストとか選択式テストとか一切無くて。全部口頭諮問か、論文式なのですね。黒板の前に来て説明するのですけども、それが論理的で面白くて聞きほれちゃうの。≫

黒柳 「人間のどっかの器官が、」

米原 ≪それでね、生物の時間に、いや人体解剖学の時間に、前の宿題を尋ねるのに「人体の器官の中である状態に置かれると6倍に膨張するものがあります。これはなんでしょう?」モスコースカヤっていうちょっと気取った女の子に尋ねたのですね。彼女は恥ずかしそうに身をよじっているものだから先生に指されちゃうのね。「いやです。私そんな恥ずかしい質問に答えられません。」て、言うのね。お爺様からもお母様からも、そんなはしたない事を考えてはいけないと言われているから絶対答えられませんっていうのね。≫

黒柳 「まだはしたないかどうかわかりませんけどね(笑)彼女はそういったのね。」

米原 ≪みんなクスクス笑い出して。≫

黒柳 「そういうところがみんなませていると思うのだけども。」

米原 ≪みんな笑っていてでもヤスミンカだけはいつもクールでいるから彼女に当てるわけね。「さあヤスミンカそれはなんでしょう?」。それはあの暗いところからいきなり明るいところに置かれた瞳孔ですっていうのね。瞳ね。≫

黒柳 「さっき恥ずかしそうにしていた女の子に。」

米原 ≪はっきりしたのは、あなたはちゃんと宿題をやってこなかったっていうこと。2つ目はとても厳格なお爺様のもとで育てられた割には、おつむの中はそれにふさわしくない事。「3つ目に」って言った瞬間に、先生は口篭っちゃうわけ。先に進もうとして他の子を当てようとするのだけども、みんなは気になっちゃって、3つ目はなんですかって言って、問い詰めるのです。先生はモジモジしちゃって。あの何とか先に進もうと思って眼球の構造を説明しだして角膜は第2レンズ、第1レンズに相当する目の器官は何ですかって?尋ねて。でも尋ねても、みんなは先生を見つめて。≫

黒柳 「さっき言おうとして止めたのはなんですかって?」

米原 ≪しょうがないからヤスミンカにまた尋ねて、(ヤスミンカは)「水晶体です。それと先生が3つ目に言いたかったことですけども」って言ったの。(すると先生は)「3つ目はあなたがそう思っていてもきっとがっかりするでしょう」って(笑)。≫

黒柳 「3つ目はあなたが考えたお爺様に言ったらば叱られるような事というのは実際その場面になったらばあなたはがっかりするでしょうって。先生は6倍には膨張しないかもしれないって(笑)。その女の子はちゃんとわかって小さいのにね。」

米原 ≪13歳ですけどね。≫

黒柳 「そう思っていてもがっかりするかもしれませんというところがすごいのですけども。そういう面白い事が一杯書いてあるのですけども、その子たちがその後どうなったかというのが書いてあるのが大宅壮一ノンフィクション賞をお取りになったところだと思うのですね。その次のアーニャのことも伺うのですけどもちょっとコマーシャル。」

米原 ≪はい。≫

黒柳 「さて嘘つきアーニャというのはルーマニア人だそうですけども、その子は本当に嘘つきだったのですか?」

米原 ≪ええ呼吸するように嘘をつくのですよ。自分のついた嘘を自分でも信じている節があって一度付いた嘘を本人も思い込んでいるので覆らないのですよ。≫

黒柳 「何回聞いても同じことを言う。」

米原 ≪さらに膨らんで物語になっちゃうのですね。≫

黒柳 「ルーマニアの子なのだけども、家の中はとっても良い暮らしだったのですって?」

米原 ≪言葉使いが共産主義イデオロギーそのものの言葉使いで、なのに昔貴族が使っていたようなお屋敷に住んでいて、住み込みのお手伝いさんとかお抱えの運転手さんとかがいて、住み込みのお手伝いさんにいつも「同志」っていつも呼びかけるのね。≫

黒柳 「いい暮らしなのだけども、「ありがとう同志」っていうのね。私、”ニノチカ”っていう芝居をやったので良く分かるのだけども、サンドウィッチでも「食べますか同志。カロリーが少ないですけども同志」ってなんでも同志って言うのですよ。その時おかしかったのが、光ゲンジが見に来ていて、「あれ(同志っていうのは)暗号ですか?」って言ったのですけども(笑)。」

米原 ≪あのもううんざりするほど・・・いい子だったのだけども、うんざりするほど共産主義礼賛とルーマニアにたいする愛国心が強い子で、≫
※礼賛=ありがたく思うこと。その偉大さをほめたたえること

黒柳 「まあ、ルーマニアではその後大変なことがあって。チャウシェスク政権。その後分かったのは、豪邸があったり不思議な生活でしたものね。まあそういう大変楽しいことが、この本に、楽しい個性的な3人の女の子の話がたくさん書いてあるのですけども、その子たちがどうなったのか、もうバラバラになっちゃたんでね。しばらくはお手紙でやりとりもしていたのですけども、バラバラになって、それで”わが心の旅”というテレビでテレビマンユニオンが作った時、調べてほしいと頼んだら3人とも分かったのですね。」
※チャウシェスク=ルーマニアの共産主義政権時代の独裁者。政権崩壊時に銃殺される。

米原 ≪私、全然期待してなかったら、≫

黒柳 「その算数が全然できなかった子が一念発起して。」
※一念発起=転じて、それまでの考えを改めて熱心になること

米原 ≪チェコのプラハの一番いい大学でカレル大学の医学部に入って、卒業して医者になっていたのです。≫

黒柳 「そのままチェコに住んでいたのですか?」

米原 ≪いえドイツのフランクフルトの近くで開業医をやっていました。≫

黒柳 「人間って一念発起するとどっかでね。」

米原 ≪また一念発起するきっかけとなった事件もね。あのもう大変な、ね。≫

黒柳 「それもご本に書いてあると。この米原さんがお書きになりたかったことは、もちろん子供の面白い童話のようなお話だけども、やっぱりそこのところなのでしょ。お書きになりたかったところは?」

米原 ≪そうですね。私日本に帰ってきて共産主義の学校に通っていたら、きっと規則がんじがらめで、規制ばっかりで、非常に固定観念で灰色のつまらないものを想像する。でも人間は、そういう国家とかイデオロギーとかを越えて、それよりもはるかに豊かで面白くて複雑じゃないですか。≫

黒柳 「それぞれの方にお会いになったのですけども、ユーゴスラビア人だったヤスミンカは、旧ユーゴスラビアといったほうがいいのですけども、大変なことになった。その後の3人です。コマーシャルです。」

黒柳 「嘘つきアーニャは、ルーマニア人でそれだけの暮らしができるという事は、チャウセスクに近い人だったのでしょうね。」

米原 ≪そうでしょうね。≫

黒柳 「彼女はどうなっていた?」

米原 ≪彼女は18歳の頃イギリスに留学して、イギリス人と結婚して、私と会ったときは、私はルーマニア人としては10%以下だと。イギリス人になりきっていて、ロシア語も完全に忘れてしまっていましたし。≫

黒柳 「ご両親はどうなったのですか?動乱の時には、」

米原 ≪いえ、ちゃんと生き残っていて、超豪華なマンションに住んでいました。チャウセスクが銃殺された後も。≫

黒柳 「どうなっているのでしょうね。わかんないですね。」

米原 ≪ガイドをしてくれた青年によると、今の政権はチャウセスクを抜いたチャウセスク政権がそのまま残っているって言っていました。≫

黒柳 「じゃあチャウセスクが悪いと。」

米原 ≪チャウセスク1人が悪いということにしてしまって、急いで殺してしまったのでしょうね。≫

黒柳 「中でも一番気の毒だったのは、ユーゴスラビア人だった頭のいい子のヤスミンカですよね。どうなったの?」
※ユーゴスラビア=その後ユーゴスラビアは内戦状態が続きクロアチア、ボスニア、新ユーゴスラビアなどに分裂。

米原 ≪絵描きになると言って、私も絶対に絵描きになると思っていたのだけども。≫

黒柳 「どこに住んでいたのですか?」

米原 ≪彼女はボスニア人と分かって、ボスニアのサラエボという一番戦争の激しいその時期に私は探していたので、もう生きてはいないと思っていたら会えました。ベオグラードに住んでいて。≫

黒柳 「家族とも会えなくてバラバラになって。」

米原 ≪今は会えました。4年間、父親はボスニアに住んでいたものですから会えないでいましたね。地続きで行くと1時間で行けるところなのに、電話もダメ郵便もだめで。≫

「後は嘘つきアーニャの真っ赤な真実をどうぞ」

※ 原文中、わかりにくい部分を一部修正

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)/米原 万里

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2010年2月4日

外資系本が出ると、即買いする犬郎。

今回は『それでも外資系で働きますか』の共著者である津田倫男の新書を読んだ。

それでも外資系で働きますか―Inside Gaishi (Yosensha Paperbacks)/ミッキー・グリーン

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外資系本では、やはり犬郎のおススメは梅森浩一、つぎに奈良タカシかなぁ。梅森氏は、かれの初期の作品などを読むと、本当につくづく「自分のいる世界に近いなあ」などと思ってしまう。タイトルはいただけないが、『クビ論』は外資系の内情をえぐった嚆矢ですね。犬郎的には、いわゆる「腑に落ちる」って感じですか、、、、梅森氏は、また人事の現場に戻ってしまったが、どうしていくつもりなのだろうか。そういえば、私の友人にも、梅森氏にクビの宣告を受けた人がいましたっけ、、、

「クビ!」論。 (朝日文庫)/梅森 浩一

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『タカシの外資系物語』もブログからの出版だけど、外資系の日常の側面を、おもしろ可笑しく、ときにアイロニーいっぱいに紹介していると思いますね。彼はコンサル業界なので、まあ金融業界ほどの激しさはないですけど。

外資流!「タカシの外資系物語」/奈良 タカシ

¥1,470
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さて、前置きが長くなってしまったが、この本は、「外資系で気持ちよく仕事をし、可能ならば経済的、社会的成功を得るための手引書」、「外資系企業や、外国企業との付き合いを避けて通れない日本企業に勤める諸氏のための外資系との仕事術の解説書」であると、著者は序文で紹介している。

しかし、この本を読んで、外資系企業に転職しようと思い立つ人は本当にいるだろうか。

マネーマネーで、口が上手で、虚言癖があり、他人の功績を横取りし、上司にゴマすり、部下を生かさず殺さず絞りあげる。これらができなければ、「はい、それまでよ!!」の世界ですと言われて、転職する人がいれば、それはそれですごい人というのは間違いない。

さて本書の内容ですが、

第1章 日本企業は国際化しているのか?
 1.なぜ日本人は国際化を嫌うのか
 2.数字で見る在日外資系企業の実情
第2章 外資系企業で評価される人、されない人
 1.外資系で評価されない「できない人」の特徴
 2.外資系で評価される「できる人」の特徴
第3章 外資系で働くとはどういうことか?
 1.外資系で快適に働くコツ
 2.ヘッドハンターの功罪
第4章 あなたの会社が、明日から外資系になったら!?
 1.外資系になると企業文化がガラリと変わる
 2.外資系でサバイバルするための三つの法則
第5章 外国人の上司とはナニモノか?
 1.彼らは日本に何をしに来たのか―赴任の動機を見分ける
 2・外国人上司のここが嫌い!
 3.外国人上司を喜ばせる必殺テクニック
 4.外国人上司と仲良く付き合う法
第6章 外国人ビジネスマンにも色々ある
 1.異文化を理解するとはどういうことか
 2.アメリカ人とビジネスで親しくなる秘訣
 3.ヨーロッパ人とビジネスで仲良くなる秘訣
 4.アジアを代表する印人と華人との付き合い方
エピローグ 外資系企業から日本企業が学べること


犬郎の「日々是新書」は、書籍紹介と自分ための整理ノートなので、書評めいたことを滅多に書かないのだが、本書は、外資金融(とくに投資銀行)の話を、外資系一般に適用して話している。これはいただけない。すべてを鵜呑みにして、外資系企業に転職すると大やけどするので、賢明な読者諸氏には、ディスカウントして読んでもらいたい

犬郎のノート

「米国の投資銀行などで頻発する朝一番の解雇通知では、自分の席に戻ることも許されず、即刻退去を命じられるといったドラマチックな状況もあるほどだ。」(これはあるな!でもアメリカの話です。スヌーピー。)「これは日本の外資系企業においても珍しくない」(疑問!スヌーピー。)(p4)

外資系の明るい側面(p4)
①若年でも力があると分かれば年功や序列を飛び越えて昇進・昇格できる(ある程度首肯スヌーピー。)
②業績への貢献度が高ければ年収をはるかに超えたレベルのボーナスをもらえる(一部金融のみスヌーピー。)
③日本の現地法人や支社で頭角を現すと海外本社で重要なポストを与えられる(GEの藤森氏ぐらいじゃないでしょうか。ほとんど皆無では!スヌーピー。)
④概して給与や福利厚生のレベルが高く、数年勤めると日本の同業企業の社員に比べて実質的な年収が三倍にも五倍にもなる(一部金融のみスヌーピー。)

外資系企業は、職能で結ばれているゲゼルシャフト(利害関係などに基づいて人為的に形成された社会)とみるのは勘違い。むしろ、ゲマインシャフト(共同体、自然発生的に形成された社会)的な要素があり、人間関係は意外と濃密(ウエット)。(p5)

日本人が国際化を嫌う五つの理由(p23)
①外国語に自信がないので、意思疎通をはかれないのではないかと恐れる。
②日本人以外の発想やものの考え方の違う人と一緒に暮らす、仕事をするのが面倒、あるいは自信がない。
③外国人に自分の内なる聖域に踏み込まれたくない。
④自分の力量や経歴に自信がないので(本当は力があるかもしれないのに)、外国人とビジネスを一緒にやりたくない。
⑤修羅場とも言われる外国人のビジネス環境の中で、狭い世間なので通用している自分の実績の底の浅さを周囲の人間に知られたくない。

外資系で評価されない「できない人」の特徴(p46-52)
①時間軸―成果を上げるのに時間がかかる人
②評価者―直属の上司にゴマを上手にすれない人
※転勤・異動のない外資系では、即アウト。外資系のゴマすりは見え見えでここまでやるかというぐらい多い。
③実績―自分の功績を派手にアピールできない人
※他人の功を横取りし、自分の罪を他人に押し付ける力が試される。上司と部下の「死なばもろとも」の強固な関係。将が有能ならば、兵士も一緒に浮かび上がることが可能。
④プレゼン能力―まじめすぎて謙虚な人
※自分の功績を針小棒大に表現できないと割りをくう。

外資系企業では、ポテンシャルが本当に期待されているのはトップ経営者のみ。…中略…それ以外は、前の会社での業績が次の転職の成否を決める最も大切な要素であると、ほぼ100%言える。…中略…外資系の場合は、後任を探しているポストの地位が高ければ高いほど、選考に時間と経費をかける。

外資系で評価される「できる人」の特徴(p56-62)
①時間軸―査定会議の直前に成果を上げられる人
②評価者―上司の出番を作ってあげられる人
※上司がよほど人格者でないかぎり(外資系では望み薄)、手柄を一人占めするのは危険。
③実績―さりげなく他人の功績に便乗し、自分の失敗を隠せる人
※仕事が成功しそうになると、全く関係がないのに、自分もそれに関わっているのだと割り込んでくる人が多い。成功しそうな案件には絶妙なタイミングで、周囲と当事者に自分の関与を主張する。こうしたマーキングができないとダメ。
④プレゼン能力―嘘でも相手を信じこませる人
※嘘も自ら信じ込んで本当だと言い立てるあつかましさが必要。

(外資系での)成功を決める3つの基準(p64-70)
①転職の可否
②顧客の支持
③勤続年数

成功している外資系ほどマイペース型の従業員が多く、成果を上げている限りは、協調しないことに対するペナルティも日本企業に比べて少ない。マイペースが維持できるのは、業績が伴うことが大前提になるので、業績があげられなくなったら協調型に移行するか、転職するかを選ばなければならなくなる。

ステップアップ転職のための4つの心得(p70-79)
①自分の得意分野を鮮明にする
②実績を1つでも多く作る
※本当に人に誇れる実績を幾つもあげるようになると、周囲にどんどん優秀な人間が集まってくる。結果、さらに仕事が集まってくるようになり、実績が実績を呼ぶという好循環を生む。外資系では、この循環のスピードが極めて速い。ために出世する人はあっという間に偉くなってします。
③顧客と知人を増やす
※外資では「損得」が全ての価値基準であり、「正邪」は不要かる有害な判断基準である。「上司の仕事が見苦しい、正しくない」と言い張るメリットはゼロ。デメリットは数限りなくある。日系企業によくいる「宴会部長」や「人事相談課長」、仕事はできないが人望はある人は外資系では皆無。
④履歴書に嘘は書かない


ヘッドハンターの限界(p81-82)
・全ての業界で全ての「人物」を知っているわけではない。
・仮に相当な数の人物を知っているとしても、一対一で会える関係はそれほど多くない。
・候補者を総合的、客観的に評価できるほど、一人一人について知らない。
・時間の制限もあり、全ての理想的な候補者に接触できない。
・候補者自身の利益よりも、雇い主の利益を最優先する。
・自分がよく知っている候補者、過去に仕事を世話したことのある人物、昔お客さんとして付き合ったことのある人間などに対して、個人的な感情が入り込みやすい。


ヘッドハンターと付き合う際の注意
・ヘッドハンターは友人ではないので、自分自身の情報開示には慎重に、細心の注意を払う。
・ヘッドハンターが自分の探している職種や業界に顧客を持っていない場合、彼らから良いポジションを紹介される可能性はほとんどゼロである。
・仮に良いポジションが提示されて場合でも、ほかに候補者が多数いることは間違いないので、期待をかけすぎない。
・ヘッドハンターにとって自分は商品であることを忘れずに。安売りせず、かつ高望みもせず、自らの勝ちを冷静かつ客観的に評価すること。

外資系に転職を考える人は、「自己の業績と能力のたな卸しを常に行ない、誇るべき仕事上の実績を少しでも多く持ち、レファレンス先として有力な顧客と社外人脈の形成を怠らず、履歴書を常に更新して転職に備えつつ、願ってもないポジションの公募に目を光らせ、ヘッドハンターとも保険のつもりで適度に付き合うべし」。

(自社が)外資系企業になったとたんに起こる九つの変化(p91-112)
①経営陣が外国人に入れ替わる。
②給与や待遇が、年功主義から成果主義の方向に変わる。
③株主や本社幹部の意向が唯一絶対の基準となる。
④「社員は仲間だ」という意識から、「誰もがライバル」に変わり、協働に損得勘定が強く入り込む。
⑤外国語のできる社員が突如、優遇されるようになり、言葉が苦手な社員は傍流になる。
⑥顧客の選別が進み、なあなあの営業や顧客とのもたれ合いが許されなくなる。
※「相手に仕事でメリットを落とす」「それで顧客に満足してもらう」「しかも原則的に一年以内にそれを実行する」の姿勢が徹底して求められる。
⑦「社会との共生」や「多様性の尊重」といった、従来はお題目に過ぎなかったテーマに真面目に取り組むように言われ、それを怠ると罰せられる。
⑧喫煙や飽食が戒められ、健康管理や自己規律の低い社員にはペナルティが与えられるようになる。
⑨無駄な会議は減り、会議時間が短くなるが、事前の準備が必要なものが増え、議題外のことも論議されるようになる。
プラス:上司の権威を笠に専横する社員、上司へのゴマすりだけで生き延びようとする社員、屁理屈に強い社員が生きやすくなる。

外資系でサバイバルするための三つの法則(p114-131)
①めだたず
②おくれず
※日本の普通の企業であれば、「頑張っている」と言える行動レベル。部下を馬車馬のように働かせ、自分は少し楽をすることも要諦。
③にくまれず

外資系ではすべてが「利益と成長」という二つのキーワードに集約される。(p116)

ある外資系金融機関にまつわる噂:ナンバーツーかスリーのポジションには、必ず日本人、しかも著名邦銀や日系証券会社からの転職組をあてる。その狙いは、不祥事の際にクビを差し出す要因にするため、だとか。(p116-117)

日本に赴任してきた五つの外国人上司のパターン(p134-148)
①必要とされて来た(徹底して尽くす)
②左遷されて来た(良い思いでを作ってあげる)
③経験を積むために来た(相手次第、尽くすか理不尽なら辞める)
④本人が望んで来た(狙いを見極め細心の注意が必要)
⑤特別任務で来た(狙いを見極める)

一般に欧米人や、欧米で教育を受けたアジア人の上司は、部下からの率直な批判を嫌う。…中略…これは、外資系企業の文化では、「間違う上司は、正しい部下よりも価値が低い」という考えからくるもので、したがって率直な批判を受け入れる素地はないと考えたほうがよい。(p153)

ポリティカル・アニマル(政治人間)は、専門性の高い職種や高給取りに多い。また国籍でいえば、アメリカ人よりもヨーロッパ人にずっと多い。アメリカ人は彼らに比べると比較的わかりやすいので仕事はしやすいが、人間的には退屈なことが多い。一方、ヨーロッパ人は一筋縄ではゆかないが、親しくなると面白い人間が意外といる。(p158)

外国人上司を喜ばせる必殺テクニック(p160-169)
①上司に花を持たせる
②「尊敬されている」「信頼されている」と伝える
③「日本人に理解がある」と伝える
④「教養がある人」と褒める
⑤「改革を期待している」と伝える

外国人上司と仲良く付き合う法(p170-178)
・和して同ぜず
・外国人は褒め言葉に弱い
・付かず離れず
・サプライズを積極的に活用する
・期待を良い意味で裏切る
※外資では、どんなに忙しくても、上司から自分に対して働きかけがあった場合、それに最優先で応える必要がある。退社時間となりデスクを片付けている時でも上司から呼ばれたら、アフターファイブをキャンセルしてでも対応する覚悟が必要となる。

異文化理解とは(p181-182)
①民族、歴史、国籍と主たる生活の場
②主たる言語と主な関心事
③生活様式と、物事に対する考え方
④教養とほかの文化に対する許容度

外資系企業で成功する人、失敗する人 (PHP新書)/津田 倫男

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2010年2月3日

ロンドンに来て、はや8ヶ月。

オフィスでも、親しい人はもちろんのこと、知らない人でも顔を合わせると、なんとなく挨拶っぽい微笑みとか、会釈とか、めったにイギリス人にはないけど挨拶をされれば、挨拶を返したりするようになっている。

挨拶をされれば、名前を知らない人には、「ハーイ」とか「ハウアーユー」とかで済ませることが多い。

親しい人は、わたしのことを大抵「○○さん」とラストネーム(苗字)に「さん」をつけて読んでくれる。

日本にいるときに、もう10年も前になるが、犬郎が「さん付け」運動を展開した成果である。

社員はもとより、ビジターで来た親会社の人も、日本にいるあいだはたいてい「さん」付けをしているわけである。これが、海をわたって一部の海外畑の外国人には知れ渡り、「さん」をつけて呼んでいただけることとなった次第である。

最初はみなとまどうが、だれかが誰かを、「○○さん」とよべば、それを真似て「○○さん」と呼び始めるわけだ。おそらく!?

ところが、どういうわけだか、それほど親しい人ではない人たちの間では、「○○さん」のほかに、「○○」と呼び捨てにしたり、「イヌロー」、あるいは「イヌローさん」とファーストネームを使うケースもみられ始めた。

先日、比較的親しいドイツ人が、犬郎に話しかけてきた。

実際、「私は君のことをなんて呼べばいいのか?」

「○○」、「○○さん」「イヌロー」、「イヌローさん」どれが正しいのだ。いろいろバリエーションがあるようだが、日本人はファーストネーム(名前)はあるのか?この「さん」というのは「ミスター(=MR)」と理解しているが、それでいいのかと、、、、

あらためてこのように聞かれると恥ずかしい。自分のことをさん付けで呼んでくれともいいづらいのである。

そもそも、「さん付け」は当時日本で、「○○本部長」とか役職呼称付きで呼ぶ風習があったので、風通しのよい組織にすべく、犬郎が「さん付け」運動を広めたのがきっかけで、日本人ならこのあたりの経緯は説明するにおよばない。

いろいろ、悩んだ挙句、このドイツ人には、「○○さん」と「苗字」プラス「さん」のパターンでお願いしますと伝えました。理由もちゃんと説明しました。

ドイツ人は、2人称の「あなた」にあたる人称代名詞に、正式なもの(Sie)と友人につかうもの(Du)があり、ある段階で親しくなるとどちらからともなく、「これからはお互いに(Du)でいいよね」みたいなやり取りをして、呼び方を変えてくるわけである。なので、こうした呼称にセンシティブなドイツ人が犬郎に質問をしてきたのであろう。

しかしこのロジックはここでは使うべきではないと思い、「これは日本のオフィスでの決め事なのだ、もう長いことこの呼ばれ方になれてしまっているので、○○さんでお願いします。」といったわけである。

一件落着。

さて、ところがわがオフィスはほとんどがイギリス人である。彼らは呼び名には無頓着なのかもしれない。まず、わたしの名前のどちらがファーストネームでどちらがファミリーネームかがわからない人もいる。普通は表記の順で、ファーストネームでどちらがファミリーネームなんだが、、、

「○○さん」と呼ばれているのを聞いて、勝手にファーストネームに「さん」をつけたものは、堅苦しい呼び方だと勘違いし、「○○」と呼び捨てにするのがでてきた。これも想像だが、、、

そのうち、「イヌロー」と呼んでくれる人も出てくる、「イヌローさん」のパターンもある。

いただけないのは「○○」と呼び捨てにしてくる輩である。犬郎的には、これには、ちょっと抵抗があるわけです。

本人にはまったく悪気はない。(多分・・・)

ほんとうは「○○さん」が一番、聞き慣れていて心地がいいわけであるが、、、、

ここはイギリス。だいたい、「アマンダ」、「コリン」、「ジュリエット」とファーストネームで呼び合っているわけだし。「さん」付け運動を展開しても仕方がない。

いっそ名前変えようかなと思う犬郎。

「イチロー」とかメジャーなものに。でもイギリス人は野球しないから、「イチロー」にしても、覚えてもらえないかも。「リチャード」もいいな。すごく多いみたいだし。

犬郎の悩みは尽きない。

こうして、いまでは、わたしには、4つの呼び名がついて横行しているということです。

ちなみにうちの妻と我が家の大家さんは、「イヌローさん」と呼んでくれてます。

じつに、じつにくだらない話でした。
2010年1月30日

森戸英幸氏の登場である。あのお堅い有斐閣プレップシリーズの概念を粉々にしてしまった御仁である。興味のある方は『プレップ労働法』を一読されたい。
プレップ労働法 第2版 (プレップシリーズ)/森戸 英幸

¥2,100
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さて、本書であるが、かなり読者対象層を広めにとっていて、丁寧に事例を交えて解説をしている。「いつでもクビ切り」という主題よりも、むしろ副題にある「エイジフリー」を主題とした、エイジフリー社会の到来の功罪に関する内容となっている。

「エイジフリー」とは、著者によると、「年齢にこだわらない社会」あるいは「年齢を問題にしない社会」という意味だそうです。

第一章で、なぜ日本でエイジフリーが進展しているのかに触れた上で、第二・三章は(定年)退職と募集・採用いう出口・入口における立法と裁判所の解釈、第四章で諸外国のエイジフリー政策をざっと紹介し、第五・六章では、エイジフリーの問題点を、それぞれくび切り社会・無礼講社会の到来の観点から論じている。第七章は、エイジフリー政策のあり方についての著者の見解、そして終章である第八章はまとめとエイジフリー社会への対応策に触れている。少子・高齢化あるいはエイジフリーの進展にともない、企業および企業の人事部はどのような対応を迫られるのか、また若年・中年・シニア世代はそれぞれどう備えればよいのかについて物理的・精神的な準備の必要性を説いている。

犬郎は、著者のいう「中年世代というのは、会社でもまたそれ以外の場でも、若い世代からは突き上げられ、シニア世代からは押さえつけられ、というまさに板挟みの世代である。それも結局、ある場面では目上・先輩。別の場面では目下・後輩、という日本社会の年齢にこだわった上下関係に由来するものにほかならない。だとすれば、エイジフリー社会は、精神的な意味では中年層、中間管理職をもっとも解放してくれる社会かもしれない。」(p209)という、負担・痛みの公平分配論的な主張(つぶやき?)に注目する。

犬郎ノート(すんません!。スヌーピー
自分のためのノートなので整理されてません)

日本は年齢にこだわる社会であったが、徐々にエイジフリー社会に変わってきている。その理由としては、①少子高齢化の進展、②国際的なトレンド、③社会における人権意識の高まり、④①を背景とした高齢者の政治力の増加、を挙げている。(p20-22)

労働法学の分野では、1970年代から、定年制は年齢のみを理由とする不合理な差別であり、違法・無効であるという見解が主張されていた。(1968年秋北バス事件判決)犬郎もはじめて秋北バスが走っているのを見たときには感動したなぁ。目(p27)

ジュピター号見たことある人? 「はーい」http://www.oodate.or.jp/shuhoku/bus/

経済学の立場からは、エイジフリーの理念に基づく年齢差別禁止法を制定し、定年制や募集・採用時の年齢制限を違法とすべきであるという主張がなされている。(清家篤・生涯現役社会の条件)経済学者の通底する考えた方は「効率性である」。能力のある者は働いたほうが効率がいいということである。(p28)

老年医学の立場からは、「七五歳現役社会」をつくっていくべきであるという興味深い主張がなされている。(和田秀樹・75歳現役社会論)犬郎としては、和田氏の引用はいかがなものかと思うが、、、彼は老年医学の人でしたっけ。!?

アメリカ:1967年に「雇用における年齢差別禁止法」制定(採用・昇進昇格・賃金決定・解雇など、雇用のあらゆる局面における、年齢に基づくあらゆる形態の差別を禁止する連邦法)(p31)

ヨーロッパ:2000年11月のEC指令78号(雇用における年齢差別を原則禁止)(p32)

日本はエイジフリーでは後進国。

アメリカ人はどうやって会社を辞めるのか?(p102-104)

定年が禁止されているのに、なぜアメリカの労働者は自主的に退職するのかについては、①早々に引退して悠々自適の生活を送るのは人生の成功者であるという「ハッピー・リタイアメント」神話の存在、②毎年厳しい業績評価にさらされる仕事の厳しさ、③引退行動を誘引する企業年金設計を挙げている。
※一定年齢に達したら以降は給付が増えない、という制度設計は年齢差別禁止法違反となりうるし、企業年金に関する基本法である従業員退職所得保障法(エリサ法)上もそれは禁止されている。しかし、年齢ではなく一定の「勤務年数」もしくは「制度加入期間」を超えたらもはやそれ以降は給付が増えないという仕組みであれば、年齢差別禁止法上もまたエリサ法上も合法である。

随意的雇用の原則(p116):企業は、いかなる理由によっても、いや理由が全くなくても、解雇を自由を行う権利を有するというもの。

解雇権濫用法理(p120):判例法理が現在は労働契約法第16条となって成文化されている。整理解雇の四要件:①人員整理の必要性、②解雇回避努力、③選考の基準、④手続きの妥当性

ヨーロッパでも(p104)

雇用終了の局面について、EC指令の前文が、「引退年齢を定める国内法の規定を排除しない」とし、これは年金支給開始年齢到達を理由とする強制退職制度を許容するものと考えられている。すなわち年金を貰える年齢になったら辞めてもらう、という定年制は実施してもよい。

ちぐはぐな法政策、例外措置による妥協(p112)

雇用の「入口」においては、2007年度の雇用対策法改正により、募集・採用時の年齢制限が原則禁止されたが、「出口」には定年制という年齢を基準とした退職制度があり。法政策の一貫性が保たれていなり。これを、例外的に、採用対象者の年齢の上限をその会社の定年年齢としてもよい、長期的に育てていくことを前提に若年者をターゲットとした採用をしてもよい、特定の年齢層が不足している場合にはその年齢層のみを募集してもよい、といったいわば特例で法の不整合を修正している。

対応法としては、大きくは2つある、ひとつは、募集・採用時の年齢制限をしてもよいことにするということである。いわば逆戻りの考え方(筆者はこれに近い立場をとる。)。もう一つは、定年年齢の撤廃すなわち「入口」も「出口」もエイジフリーにしてしまうということ。

著者について:森戸英幸(もりとひでゆき)、1965年千葉県生まれ、東京大学法学部卒業(菅野和夫東大名誉教授門下)、東京大学法学部助手、ハーバード大学ロー・スクール客員研究員、成蹊大学教授を経て、現在は上智大学法学部・法科大学院教授。おそらくは山口浩一郎先生の定年退官に伴い、こちらに移ったのではないかと犬郎は推測する。どこの大学も労働法の枠は1人枠なのが現状。近年は労働法よりも、社会保障法の分野での活躍が目立つが、よりどころは労働法。外見は暑苦しい印象があるが、これは氏が大学時代ウエイトリフティングに在籍したことと無関係ではあるまい(?)。成蹊大学時代の森戸先生のゼミの紹介WEBページを拝見したが、森戸厩舎となっていた(じつは犬郎もよく見てましたこのHP)。水町勇一郎氏とつるんで若いころは(おそらくはいまも)相当オバカをやっていたらしい。最近は、政府関係の委員会の委員などもつとめているので、大人しくしている。愛すべきキャラの方です。犬郎は継続フォローしてまいります。

いつでもクビ切り社会―「エイジフリー」の罠 (文春新書)/森戸 英幸

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2010年2月1日

昨日は、ノッティンガムまで行ってきました。

ご存知でしょうか?ノッティンガム・フォレストという名門サッカークラブチームの本拠地のあるところです。

でも犬郎がいってきたのは、ホッケー。それもアイスホッケーではなく、フィールドホッケーのボランティアの打ち合わせ会のためでした。

今年の7月に、ノッティンガムで、女子ホッケーのチャンピオンズ・トロフィーという国際試合が開催されます。このレベルの試合の英国での開催は35年ぶりぐらいだそうで、協会もかなりの力のいれようです。

前日から現地入りしていた犬郎は、10時の集合時間前に会場に到着。すでにジャージ姿の人たちがたくさん集まってきています。

受付を済ませてミーティングルームにはいると200名位は来ているでしょうか。あたりまえですが、みんな外人です。いや、むしろ外人は犬郎だけで、それ以外は全員イギリス人というのが正しいものの見方ですね。

午前中は、イベントの概要、ボランティアに期待することなど、一般的な説明を聞いて、午後からは指定された部屋にわかれて詳細の役割説明です。

犬郎は、事前の希望申請のときに、競技・広報・渉外などの難儀な役割は外しておいたので、ファミリーイベントなどの軽めの役割の説明会に参加することになりました。

ところが、「おーまいがーっ、お代官さまご無体な!!」、「ここまでボランティアに任せへんで普通!!」というぐらいハードな内容です。世界中から、チーム・選手を招聘したり、ノッティンガムのセンター街で、10万人の通行人を相手に、イベントのプロモーションをしたりと、準備のための仕事が満載で、とても期間中だけのお勤めでは無理なフルタイムのお仕事ばかりです。

「話がちがう。」

「いや、そもそもちゃんとそう書いてあったのを犬郎が読まなかっただけ?」

東洋の神秘といわれる薄ら笑いをしていると、「あなたはどのポジションにするかだいたい決まりましたか!?」との質問あり。

とっさに、「ええ、どの仕事もすごくやりがいがありそうで、目移りしちゃいます」と答える犬郎。だてに歳をとっちゃいません。

このあと、参加者で親睦のためのコミュニケーションゲームをすることに、5名1組となり、カードにかかれた単語を、説明役の1名が言葉でヒントを出していきます。残りの4名が回答します。持ち時間は1分。これを順々に5名全員が説明役をして、総合正解枚数の多いほうが勝ちというゲームです。

さすが、アングロサクソン、ゲームとなると勝ちにかかります。作戦会議をしているチームもあります。難しい単語もあって1分で5~14問位のはばで正当数にばらつきがありました。犬郎は9問の正解を得ましたが、回答するほうではネイティブのしゃべるスピードについていけず貢献はゼロでした。いたし方なし。

そして、説明会の最後に、自分の希望の役割を最終希望としてアンケートに記入して提出します。

犬郎は、子供たちにホッケーの楽しさを教える役割を希望しました。1日8時間9日間の肉体労働です。でも楽しいかも。昼食以外は、交通費、宿泊代のすべてが自己負担なので、ロンドンから参加の犬郎はかなりの出費だけど、「まあ苦労は買って(合ってます?漢字目)でもしろといいますからね。」

別室でボランティアクルーのユニフォームの採寸です。ポロシャツ、パーカー、ジャンパーがもらえます。いい記念になりそうです。

ついでにショップで、いくつかのグッズを衝動買いです。もうとっくにホッケーをやめてしまったのに、なんでいまさらグッズなのだろうと思いつついっぱい買いました。

この日は、説明会と同じ会場のアリーナで、イングランドのインドアホッケーの男女の決勝がありました。ボランティアクルー候補には、主催者の粋なはららいで、チケットが無料で配布されました。犬郎は、英国ホッケー協会のプラチナ会員なので、この無料チケットとは別に、VIP席での観戦チケットをもらい、一段高いところから観戦できました。

ロンドンに着いたのは午前0時を回っていました。なんだか一気に疲れがでてきました。多少、緊張していたのでしょうか!?

そういえば、この本番の女子チャンピオンズトロフィーと同じ期間中にノッティンガムで男子の4カ国対抗の試合が開催されます。日本チームも参加の予定です。日本男子は現在世界ランキング16位。でも英国ホッケー協会の人の話では、日本チームは組織力があってよいチームだそうで、過小評価できないとのことでした。「このひと、わたしのほうを見ながらしゃべるんですよね。やめてほしいな。その同意を得るような語り口。」

「ニッポン頑張れ!!」

女子チームの活躍の陰で、男子チームは目立たなかったのですが、頑張ってほしいものです。1932年のロス五輪(最初のロス五輪)では銀メダルだったのに(参加は3チーム)、メキシコ五輪を最後に出場すらできてません。日本ホッケー協会のHPと英国ホッケー協会のHPを比較すると、ホッケーに対する力の入れ方の彼我の実力差は歴然です。よくみると、日本のHPでは、まだ「北京五輪を目指して頑張っている」となってます。左記の4カ国対抗の日本の出場の話も、日本のHPではなくこっちの協会の人に教わったぐらいですから。

もしかしらたらまだ日本の協会の人はしらないとか。「まさかね。」

今回はちっとも人事の話ではなかったですね。これもプランド・ハプンスタンス(計画された偶発性)ということでお許しください。
2010年1月29日

さきほどロンドンに帰着しました。気温5度。東京より若干寒いでしょうか。

10日間の日本出張でした。

昔の仕事仲間も、皆、相変わらずで一安心。

出張中は、時間の許すかぎり和食を食べようと思い、常連のお店に行ってまいりました。やっぱりいいですね。一流は工夫があって、なおかつ基本的な味が変わりません。

それと今回は、2つの新店にめぐりあうことができました。そのうちの一つを紹介しましょう。

渋谷の「蛇の健」寿司さんです。

東京大学大学総合教育研究センター准教授の中原淳さんが、いろいろなところで勧めているお寿司屋さんです。

TWITTER上で、この中原先生がこのお寿司屋さんについてつぶやいていたので、思い切って入って見ることにしました。道玄坂をちょっと外れたところにある、カウンターのみ10席程度の小さなお店です。

店内には常連っぽい方ばかりがすでに数名。

焼酎のボトルを注文して、ロックでやりながら、つまみ、お寿司を堪能いたしました。最後の天然のわさびを細ギリにした巻物は美味しかったなぁ。名前がついていたけど、忘れてしまった。

お値段も、犬郎の普段行くお寿司屋さんと比べてかなりお値打ちでした。満足です。

「はじめてですよね?どなたかのご紹介ですか?」と聞かれ、「ちょっとだけ面識のある東大の中原先生が、ネットでこのお店のことをつぶやいていたので」と答えました。店主の金山さんは、ちょっと怪訝な感じで「あっ、中原先生のいつもお世話になってます」と返してこられました。

今回は、出張で日々是新書の濫読も滞っていたので、帰りの飛行機に新刊の新書6冊を持ち込みました。すべて犬郎がロンドンに着てから刊行されたものばかり。

夏野剛『グーグルに依存し、アマゾンを真似るバカ企業』(2009年7月、幻冬舎新書)
高橋俊介『自分らしいキャリアのつくり方』(2009年9月、PHP新書)
高橋克典『職場は感情で変わる』(2009年9月、講談社現代新書)
宮台真司・福山哲郎『民主主義が一度もなかった国・日本』(2009年11月、幻冬舎新書)
村井純『インターネット新世代』(2010年1月、岩波新書)
酒井穣『「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト』(2010年1月、光文社新書)

なんと、着陸態勢に入って読み始めた6冊目の酒井の序の文に、「蛇の健寿司」の件りを発見しました。なっ、なんという偶然でしょう。叫び

中原淳発「蛇の健寿司」の輪は、確実に広がっているような気がします。

さっそく中原ファンの知人数名にメールを打って「蛇の健寿司」を勧めてみようと思う犬郎でした。

おわり。
2010年1月15日

じつは、つい先日、駐車禁止で罰金と取られてしまいました。60ポンドです。1万円弱なり。これは痛い!むかっ

犬郎の車は、普段は指定駐車エリアに路上駐車しています。

道路に白い点線で囲ってあるところは、基本的にその地域(ボローという行政管轄区)の住民が駐車してよいのです。基本的には、空いているスペースに早い者勝ちで駐車します。公道への縦列駐車です。なので、毎回、駐車位置が変わります。

いまロンドンは、日中でも零下2度くらいのことが多いので、遠い位置に駐車する羽目になると寒くて大変です。

先週末は、遠いところに駐車しました。

犬郎が、朝、会社に出社すると、携帯電話が。。。「8時半までに車を現在の駐車位置から撤去せよ」との自動音声通知です。

そんなことを言われても、これから会議だし、家に戻ったら8時半には間に合わない。

どうする犬郎。叫び

あわてて妻に連絡し、近所の人に、対処方法を相談することに。犬郎のクルマはマニュアルなので(イギリスではオートマのクルマをほとんど見かけません)、オートマ限定免許世代の妻はマニュアルの運転経験がないんです。

まずはいったんクルマの様子を見に行く妻。3-4日前に張り紙がされていた様子で、たしかにクルマを動かせと書いてあるとのこと。

事情を話すと、親切な隣人が助けてくれることに。妻と隣人はクルマに向かう。すでに、クルマは、数名の駐車違反取締りの人たちが取り囲まれ、写真撮影中です。

この時点で罰金は確定。

仕方がない、クルマを動かすことに。するとクルマが動かない。バッテリーが上がってました。ハザードをつけっぱなしていた犬郎でした。

ピーターの法則、いやマーフィーの法則だったか。最悪の状況に最悪の事態が重なります。

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妻からの電話で事態を把握し、呆然とする犬郎。叫び

「おっとクルマが動かないならレッカー移動だな。」とお役人。ドクロ

レッカーされたら罰金300ポンドコースだ。

結局、それでもこの親切な隣人がバッテリーチャージとクルマの安全地帯への移動をすべてやってくれて、レッカーはされずにすみました。

「ありがとう。○○さん。」

あとで、聞いたところでは、ロンドンでは工事などの都合で、クルマの移動通知があるのは、よくあるとのこと。2日くらい前に、対象エリアに通知が掲示されるらしい。これでは予告なしに等しいですよね。それに、毎日クルマの様子や、貼り紙を確認しに行きますか。いかないですよね。

これを見過ごしたり、気がつかず。クルマを移動させずに放置しておくと、駐車禁止とレッカー代でものすごい出費になるわけです。公道の空きスペースに駐車するがゆえのことです。

しかし、なんとかならないのでしょうかこのシステム。旅行に出かけている人は、まずアウトのようです。どんな事情があって説明しても取り合ってくれないのは、悪名高き地下鉄の乗り過ごしの際の罰金と同じです。

周りを見渡すと、いろいろな罰金のシステムがあるロンドン。ゴミを所定の位置に所定の日時に置かないで放置すると、罰金3000ポンドなんてのが、家の前の立て看板に書いてあります。

そして、以外に法律をよく守るイギリス人。信号をほとんど無視する歩行者とフーリガン以外は、皆、遵法精神にあふれているのでした。

最後に、旅行にでかけるときには、隣人同士助け合って、クルマのキーをお互いに預けてでかけるようです。代わりにクルマを移動してもらうということです。なお、罰金60ポンドだけど、本当は120ポンドが請求額。14日以内に支払えば半額ディスカウントというありがたいルールになってました。

「高い授業料だったが、ロンドンのルールをまたひとつ体得したのでよかったな。」にひひ

あくまでも前向きな犬郎でした。